気づきの伝道師 藤井一規です。
愛とはどういうものだろう?
恋とはどう違うのだろう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15200/
この記事の目次
「愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結びつける力である」
by エーリッヒ・フロム(独の社会心理学者、精神分析者、哲学者)
愛とは何か?
愛は能動的なものだと、エーリッヒ・フロムは言う。
ほかの視点からはどうだろう?恋との違いは?
もうしばらく掘り下げていく。
<恋と愛>
恋愛という言葉が示すように、
恋が先で、後から愛になっていくという傾向がある。
いきなり愛から始まることは少ないかもしれない。
まず、相手にときめいて、何かをしてもらえることが、
この上なくうれしかったりする。
そう、恋は相手から受け取ることから始まる。
直接私に対して、何かをしてもらえなくても、
相手の様子を受け取ることで、喜びが得られる。
特定の誰かと深くかかわっていくときに
相手の反応が大きな違いをもたらす。
欲しい反応が得られなくなったら、
恋をし続けることは難しい。
<愛は能動的>
恋が何かを受け取る、受動的なことを主体にしているとしたら、
愛は、自ら与えていく、能動的なことが主体だ。
たとえ相手が望ましい反応を示してくれなくとも、
与えることをやめることはない。
相手の存在そのものを愛おしく思うもの。
恋は落ちてしまうものであり、
愛は自らしていくものだ。
何らかの見返りを期待するわけでなく、
ただひたすら与えることに喜びを見出せるもの。
<利害を超えて>
多くの人間関係は、なんらかの利害で結びつくことが多い。
共にいることでメリットがあるかどうかが、
持続するかどうかを定めていたりする。
損得の有無で付き合いをしているとしたら、
厚い心の壁を作ったままでもいい。
しかし、損得で結びついているとしたら、
損得勘定が合わなくなった瞬間に、
両者の関係は成立しなくなる。
継続して利益を得られるとしても、
より大きな利益が得られるものがやってきたとき、
関係は危機を迎えることになる。
しかし、愛でつながっていれば、
損得とは無関係でいられる。
<人と人とのつながり>
利害を超えた愛のつながりは、
損得という状況で変わってしまう、不安定なつながりとは違う。
信じるに値する、安心・安全のつながりだ。
愛を受け取る体験をしていると、
愛の存在を信じられる。
愛のチカラを信じることができる。
愛で結ばれた関係をつくりあげていきたいもの。