気づきの伝道師 藤井一規です。
いかにも偉そうに見える人よりも、
偉そうに見えない人のほうが、重要な人物だったりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ」
by 伊藤博文(武士、政治家)
一見して偉そうに見える人は、さほど重要な人物ではなかったりする。
どういうことなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<偉そうな人>
偉そうに見える人は、偉そうに見えるような工夫や、
仕組みを作っていたりする。
自ら偉そうな言葉遣いや、態度を選択して使っている。
偉そうにすることで、自分の弱さや自信のなさを隠そうとしていたりする。
また、相手をコントロールして、自分が
快適でいられるようにしようとしたりする。
自分だけが特別な存在と考えていて、他人を見下そうとする傾向を持っていたりする。
自分と相手との間に壁を作って、自分を安全圏に置こうとしたりする。
<偉そうな人に対して>
あなたは、偉そうな態度をとる相手がいたら、
どう感じるだろうか?
偉そうな人には、気軽に近づいていきにくいもの。
近づけば、コントロールしようとしてくるし、
不快な思いをすることのほうがほとんどかもしれない。
付き合って、受けるメリットが大きいうちは、
前向きな協力をしていくだろうが、
もし、人としてないがしろにされてしまうのだとしたら、
継続的につきあっていくことは難しいだろう。
そうなると、偉そうな人に入っていく情報も
偏ったものになってしまいがち。
<いくら剛だったり、正しくても>
いくらリーダーとしての強さや、正しさを持っていても、
偉そうにしているとメンバの心は次第に離れていってしまうだろう。
たとえそれが論理的であっても、
心に余裕を持つことができないままに、
ギチギチにはめ込もうとしてもうまくはいかない。
人は論理や、正しさだけでは動いてはいかないもの。
<人は心で動く>
付き合っていくうえで、心を開く気持ちになれる相手、
話に惹きこまれたり、一緒にいてエネルギーが湧いてきたりする人、
この人のためだったら!って思える人と
一緒にやっていきたくなるもの。
人は、論理や正しさよりも、
感情のほうにより影響を受ける。
冷たかったり、高圧的な人よりも
人としての魅力があったり、味わいのある人のほうに
人が集まっていく。
大事をなすのは、偉そうにしている人ではない。