気づきの伝道師 藤井一規です。
情報があるということはありがたいことです。
情報があると、無いのとでは、判断の仕方が変わってきます。
かと言って、情報がたくさんあればいいというものではないようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15301/
この記事の目次
「何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである」
by 羽生善治 (将棋棋士)
判断するのに、情報は必要なもの。
しかし、情報ばかり集めても、自分なりに整理し、考えていかないと
本当のところはわからなかったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<情報の渦>
私たちは情報の渦の中で生きていると言えるかもしれない。
知りたいと思うことは、簡単に手に入れることができたりする。
いちいち専門家に聞くよりも、困ったら
Google先生に聞く(Google検索する)ことはもはや日常茶飯事。
情報は重要なものだけれど、
情報に振り回されていないだろうか?
これが流行のファッションと言われれば飛びつき、
健康に、ダイエットにいい、とされたものが翌日スーパーで売り切れ。。。
押し寄せてくる情報に流されていないだろうか?
<情報との付き合い>
たくさん存在する情報とどう付き合っていけばよいのだろう?
まず、考えられることは分類して、整理していくことだ。
似て非なる情報や、まったく逆のことを伝えているものもあったりする。
わかりやすく整理しておくほうがいい。
しかし、多くの場合はそれだけでは不十分。
ただそこにある情報は、それだけでは意味を成していなかったりする。
例えば、旅行の目的地への行き方を詳細に持っていても、
実際に行ってみると、すでに状況が変わっていて役に立たなかったりする。
逆に使う必要もなくついてしまったりする。
おもしろそうな本を借りてきたが、借りて満足してしまい読まなかったり。
不要な情報を捨てることは、重要なことだったりする。
<意味が変わる>
例えば、二つの国が共同でなにかした、
というニュースがあったとき、
過去の戦いの歴史のある間柄という意識をもって、
捉えるのと、ただ単に、友好的に共同作業をした
と捉えるとのでは、情報の意味が変わる。
ただの表面的な事実からではわからない、
関わる人々の思いがあったりする。
ただの情報で終わらせることもできるが、
問題意識をもって捉えると、より深い真実が見えてきたりする。
<自分のものとして考える>
だから、情報はただ持っているだけでは不足。
それをもとに自分で行動したり、考えたりして、
初めて価値を発揮していく。
単に、誰かが教えてくれる、やってくれるのを待つのではなく、
自分のモノとして、活かしていくようにしたいものだ。