気づきの伝道師 藤井一規です。
つい悲観的に考えてしまうことってあります。
どんな心理でそうなってしまうのか?
どうしていけばよいのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15317/
この記事の目次
「悲観的になるのは、自分のことばかり考えているから」
by 斎藤茂太 (精神科医、随筆家)
悲観的になることと、自分のことばかり考えていることに
どんなつながりがあるのだろう?
悲観から抜け出すヒントがそこにあるかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<悲観的な考え>
どうせうまくいかない。
つい否定的な言葉ばかり使ってしまう。
あれこれと心配事が浮かび上がってくる。。。
そして悪い方向に進むことを想像してしまう。
どうせうまくいかないんだから、
積極的に何かしようという気持ちになれない。
そんな自分を好きになれない。。。
悲観的な考えに囚われているとき、
自分に自信を持つことができない。
<悲観も楽観もイマジネーション>
きっとうまくいくと考える楽観と
どうせうまくいかないと考える悲観。
方向が違っているだけで、どちらもイマジネーションが働いている。
イマジネーションは自分がするもの。
自分の意思で、選択ができるもの。
悲観的になることにもメリットがある。
有効に活かすことのできるメリットとしては、
慎重に準備することに役立たせることができる。
楽観過ぎて、ちょっと考えればわかる、
必要なことを見落とすのは問題かもしれない。
しかし、多くは残念な方向に向かうメリットだ。
例えば、悲観的になることで、行動しない理由付けをしたり、
失敗したときの言い訳を準備することができる面がある。
悲観的に考えたことで楽だった、という体験を通じて、
次第に癖になってしまったりする。
<自分への意識>
悲観的になることは、自分を守ろうという意識の現れのひとつ。
しかし、悲観的になりすぎると、
自分の変化や成長を邪魔したり、自分を却って傷つけてしまったりする。
自分の心を開くことさえ、
恐れるようになったりする。
誰かに助けて欲しくて、悲劇を演じたり、
演じているうちに、どっぷり悲劇の中にはまってしまったりする。
<誰かのために>
悲観から逃れる方法はいろいろあるけれど、
誰かのために何かをしてみるというものがある。
悲観に囚われているときは、
自分が悲劇のヒーロー、ヒロインになっていたりする。
そのことはちょっと忘れて、
自分の大切な人のために、あるいは目の前の一人のために
できることを真剣に、精一杯やってみる。
ふと、悲観とは違う自分がいることに気づくに違いない。