気づきの伝道師 藤井一規です。
何気なく過ごしていると、
時間に限りがあるということを忘れてしまいがちです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15331/
この記事の目次
「人生はあまりにも短く、そして退屈し浪費した時間は決して取り戻すことができないのだ」
by スタンダール(フランスの小説家)
人に与えられている時間には限りがある。
時間への意識について、
もうしばらく掘り下げていく。
<時間への意識>
私たちは日常で、忙しさに追い回されることはある。
締め切りや期限という時間に追われて、
頑張ったりするもの。
ところが、人生の時間に限りがあるということを
意識することは少ないかもしれない。
しかし、人生の時間はやはり有限だ。
永遠に生きる、というわけにはいかないし、
永遠に生きるのは辛いことかもしれない。
<わずかの変化>
頭の中では人生は有限だとわかっていても、
毎日が繰り返されていると、
明日が来るのは当たり前のように感じてしまうもの。
つい、明日にしよう、明日があるさって考えがち。
心も身体も少しずつ変化をしているが、
ある日を境に急に大きな違いが起きるというわけではなく、
わずかずつの変化をし続けていく。
人間には、慣れるという特性があって、
少しずつしか変化しないものを認識することは難しい。
<それでも時間は>
それでも、人生の時間は刻々と過ぎ去っていく。
過ぎ去った時間を取り戻そうとしても、
どうしようもない。
無駄なことをした、と反省するのはいいけれど、
悔やみ続けても役には立たない。
まだ与えられている時間を
いかに活用していくかを考えたほうがいい。
<与えられた時間>
もちろん、時間を可能な限り有効活用しようとして、
無理をしたり、自分を追い込むだけになってしまうのは違うかもしれない。
ときにはのんびりすることも、大切なことだったりする。
幸せになるために、どう過ごしていきたいかを考えて、
時間を使っていきたい。
ただ、人生には限りがあるものとして、
何に時間を使いたいかを考えるのと、
ただその場その場の思い付きで、行動していくのとでは、
何のために時間を使うかが変わっていくだろう。
<満足するために>
多くの時間を望んでいないことに
奪われてしまうってよくあること。
だから、納得いく人生を送るために、
どんなことをしてみたいのか?
何に時間を使いたいのか?
定期的に考えてみることには価値がある。
是非、考えていきたい。