気づきの伝道師 藤井一規です。
愛を感じられるって素敵。
愛があれば人は生きていけるかもしれない。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人間には、愛がありさえすれば、幸福なんかなくったって生きていけるものである」
by フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(露の小説家、思想家)
幸福の定義は人それぞれかもしれない。
しかし、愛は生きていく上での幸福をもたらしてくれる。
もうしばらく掘り下げていく。
<幸福の定義>
ドストエフスキーは何を幸せだと感じていたのだろう?
貧民救済病院の医師の息子として生まれた彼は、
病院にやってくる貧しいし人たちを意識していたことだろう。
おそらく医師の家として、
比較的恵まれていた家庭と目にする貧しい患者たち。
処女作のタイトルが「貧しき人々」であることからも、
貧しさへの意識があったことがわかる。
賭博にのめり込んでしまったり、病気もあって、
作家として困難な契約を出版社としていたり、
自身貧しい生活を送っていたようだ。
どうやら彼の中で、幸せには経済的な豊かさへの意識があったのではないかと思われる。
<愛と神と幸福>
そして、どんなに貧しくても、愛があれば
生きていくことができると気づいていた。
愛がもたらしてくれるエネルギーを大切にしていきたい。
誰かを飽くことなく愛してくとき、
満ち足りた気持ちを感じることができる。
誰かから評価されることを当てにせず、
ただ自分が望むように愛していけばいい。
ドストエフスキーは産業革命の社会の中で、
見捨てられていく人々のことを強く意識していた。
そして、何が本当に大切なのかを。
人は誰かのために一生懸命尽くしたりするが、必ずしも報われるとは限らない。
報われないことに対して苛立ちを覚えてしまう自分が
情けないと思ったりすることもあるかもしれない。
しかし、情けなさに気づいた自分を祝福していいと考えていた。
<愛していこう>
愛することは、ときに苦しさも伴ったりする。
しかし、愛する相手を想うとき、
幸福感を得ることができる。
愛する誰かの喜びは、我がことのようにうれしい。
また、望ましく成長していくことはこの上ない喜びだ。
経済的に恵まれているかどうかには関係なく、
その幸福感を得ることができる。
ひとは自分のためによりも、誰かのためにのほうが
頑張れたりするもの。
もちろん、自分のことも愛していきたい。
愛することは、生きるエネルギーを得ることでもあるのだ。