気づきの伝道師 藤井一規です。
泳ぐためには、底から足を離して、
身体は完全に水中になくてはならない。
しかし、慣れないときには怖さを感じたりするもの。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15435/
この記事の目次
「人は、泳げるようになりたいと願いながら、同時に片足を地面につけているものだ」
by マルセル・プルースト(仏の作家、批評家)
泳ぐためには、身体は完全に水の世界に任せる必要がある。
しかし、恐さがあると身体を任せきることができない。
足を離していても安心だとわかるまではなかなかできない。
もう少し掘り下げていく。
<安心安全>
日頃慣れている状態は、ある程度の安心安全があると考えられる。
どうなるかがおおおよそ予測でき、
まあ何とかなると思えるなら、その状態に入ることも安心だ。
注意力を欠いていても、
心配するような事態にならないのなら、
安心していられる。
緊急事態を恐れる櫃王がないなら、脳もサボることができる。
もし、危険が迫るかもしれないと思っていれば、
ちょっとした変化にも気を配り、
より安全な状況にするための策を巡らせる必要がある。
<泳ごうとすると>
今まで、泳いだことがない人が泳ごうとすると、
恐れなくてはならないことができる。
まず、人は水中では呼吸することができない。
呼吸するためには、口か鼻は水から出ている必要がある。
だから、顔を水につけることは、命の危険に近づくことでもある。
おまけに水の中で目を開ける感覚は普段とは違う。
恐れる気持ちが生まれてきてもおかしくない。
身体も、足を地につけていられれば、
安定していられるが、足が地についていないのなら、
不安定で、水の底のほうに落ちていくように
思ってしまう。
どんなことでも、新しいことにチャレンジするときには、
これまでに体験したことがない状況に出会うことになる。
<乗り越えるために>
顔が水の中に入っても、水中で目を開けていても、
慣れていけば、ある程度の時間は特に危険はないとわかる。
初めは恐怖でおののいてしまうようなことも、
対処の方法がわかってくる。
慌てなくも大丈夫だとわかれば、
落ち着いて対処できる。
足が地についていないことへの不安も、
ついていないことで、却って移動のための
自由度が上がるとわかると、
不安は消えていく。
そう、人は慣れ、対処法を身につけられるというチカラを持っている。
<恐れるだけでなく>
水を恐れて、顔を自ら遠ざけていては
両足を地から離さずにいては、
泳げるようになるには、難しいだろう。
恐れるばかりではなく、
少しずつでも、思い切ってやってみることが
新しいことを身につけるには大切なこと。