気づきの伝道師 藤井一規です。
誰もが幸福を求めています。
幸福ですか?と問われて、即座に「はい」と答えるのには
抵抗のある人も多いようです。
しかし、ひとは常に幸福なところと、不幸なところとの、
両方を抱えているかもしれない。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15454/
この記事の目次
「われわれは幸福も不幸も大げさに考えすぎている。自分で考えているほど幸福でもないし、かといって決して不幸でもない」
by オノレ・ド・バルザック(フランスの小説家)
幸福とはどんな状態だろう?
そして、不幸とはどんな状態?
バルザックの言葉をきっかけに
もうすこし、掘り下げていく。
<幸福って?不幸って?>
幸福ってどんなもの?
そう聞くと、とてつもなくハードルの高いものが出てきたりする。
もろもろの全てが理想的な状態でないと、
幸福にはなれっこないように思ってしまったりする。
逆に、不幸と言うと、何もかもがうまくいっていないような
そんな印象を持ってしまう。
しかし、それは本当だろうか?
好意を持っている相手と、ニッコリ笑顔を交わすだけでも
幸せを感じられたりするのではないだろうか?
<幸福か不幸か>
人は、幸福と不幸とを同時に感じることは難しい。
幸福を感じるときには不幸なことは忘れ、
不幸に囚われているときには、幸福と感じられることが
存在していることを忘れてしまっている。
人は同時に複数の心の状態になることができない。
たとえ、どんなに小さなことであっても、
喜びを見つければ、とてもうれしい気持ちになれるし、
どんなに幸せな状況にあっても、
ひとつアンラッキーを見つけたら、不幸せな気持ちになることができる。
<どこに焦点を当てるか>
そう、私たちは常に、幸福と捉えることができることと、
不幸と捉えることができることを同時に持ち合わせている。
それが、どんなに小さなことでも、
幸福と感じられるものとに意識を向ければ、
幸福になれる。
幸福な状態とは、他の人から見ても幸福だろうな、
って思われるような、ものすごいことでなくたってなれる。
もともと幸福かどうかは、自分自身が
どう感じるかで決まってくる。
他人は直接関係がない。
自分が、何をもって幸福と感じるかで決まる。
他人にとっては何でもないようなことだって、
ひょっとしたら、大きな幸福の源になるかもしれない。
いつだって、幸福にも不幸にもなれることを
覚えておきたい。