気づきの伝道師 藤井一規です。
平等、という言葉には甘美な響きがあります。
しかし、現実の世界では、幻想と考えたほうが妥当だったりします。
平等とは何なのか、しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「平等にという叫びは、誰をも引きずり下ろす」
by アイリス・マードック(アイルランド出身の英国の哲学者・作家・詩人)
平等というと、なんだか素敵なことのように思える。
しかし、平等を実現しようとすると、大きな問題にぶち当たる。
平等にはどんな問題を引き起こすのだろう?
もうすこし、掘り下げていく。
<平等と公平>
平等とはどんなものかを考えるうえで、
平等と公平とに、どんな違いがあるかを考えていくのは有効かもしれない。
平等というと、その関係者ひとりひとりに等しく配分されるイメージがある。
12個のリンゴがあって、3人いたとすると、
ひとり4個ずつ分けようという考え方だ。
なるほど、算数的に等しく美しく配分されている。
しかし、一人はそのリンゴ農園の持ち主で、
一人がそれらのリンゴを農園の持ち主の依頼で一人で収穫し、
もう一人は、なにもせず、ただ遊んでいただけだとしたら、、、
ひとり4個ずつというのは、納得できるものだろうか?
そこで、より納得性のある、公平な分け方があるかもしれない。
その土地の持ち主や、収穫のための労力にを払った人に、
よりたくさんを配分するほうが納得性があり、より公平だとするものだ。
だから、平等にしようとすればするほど、
貢献度の大きな人々は、頑張ったのにもかかわらず、
得るものは何もしていない人と同じになってしまい、不満が溜まっていく。
<平等を目指した社会主義>
平等という甘美な言葉に魅かれ、
国家のあり方として、社会主義が掲げられた。
しかし現在、共産党が政府を運営する国はあっても、
いわゆるマルクス・レーニン主義の国家はひとつもない。
優秀な人が、どれほど働いたとしてもそれは社会のモノとして扱われ、
その人に対する配慮がなければ、
働くだけ馬鹿らしい、と考えるようになっていく。
働かなくても、充分な配分が得られるのだから。
そう、平等の思想は、せっかく飛びぬけたモノがあっても
埋もれさせてしまいがち。
平等は、社会からみても損失を生み出してしまうことになる。
<納得性のある仕組み>
貢献した人には、それなりに報われる仕組みがないと、
継続していくことはできない。
納得できるような公平な社会なら、
もっと頑張ろうという意欲もわいてくるかもしれない。
もちろん、現実の社会は公平でも何でもない。
だれにとっても同等の納得性をもたらすことは不可能だと言ってもいい。
ただ、平等でいこうとするよりは、
可能性が広がっている。
<平等よりも目指すもの>
平等は、平均よりも優れているもの、価値のあるものを
引きずり降ろそうとするチカラを持っている。
ひとりひとりの能力を有効活用し、
社会全体がより多くの価値を生み出し、
それをうまく分け合えるようにしていきたい。