気づきの伝道師 藤井一規です。
愛は、常にこういう形といった、
決まった形はありません。
いろいろなかたちをとったりするようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「愛はうつろう海のようなもの。海は出会った海岸の形になり、海岸によってその姿を変える」
by ゾラ・ニール・ハーストン(米の民俗学者、小説家、エッセイスト)
愛は相手に与えていくもの。
だから。相手の形によって、愛の形も変わってくる。
ちょうど、海岸線に合わせて海の形が変わるように。
もうすこし、掘り下げていく。
<愛という名のもとに>
相手を大事に思う心を私たちは持っている。
親は、子どもの幸せを願う。
家族のことを大事にする。
好きな相手のことを大切にする。
友達の幸運を願い、
身近な人たちの幸せを願う。
そして、自分の幸せも。
人は誰かのことを大切にすることが
大事なことだと知っている。
ただ、愛という名のもとに、
相手が望まないことが行われてしまうことがある。
もちろん、愛している側は、
相手のためを思って、間違いなくこのほうが良い!
と思っているのだが、
愛される側にとって、迷惑この上ないことがある。
<愛は与えるものだけど>
子どもの安全を願う親。
子どもが危険な目に遭わないように、
危険が近づく余地を失くしてしまおうとすることがある。
しかし、時が経てば、いずれは護ってくれる親のいない時間がやってくる。
そのときに、危険に対処した経験が一度もなければ、
どうすることもできないままになってしまうかもしれない。
今していることが、本当に子どものためになっているのか?
考えてみる必要がある。
また、相手のためを思って、あれこれと口を出し、
手を出したりすることがある。
愛する相手の望みのことなど気にすることなく、
愛する側のベストを押し付けてしまったりする。
それは本当に望ましいことなのだろうか?
よく考えてみる必要がある。
<愛は相手のために>
愛は与える側が、自ら提供していくもの。
だから、ときに相手のためにならないことが行われることがある。
もちろん、相手が望むことだけを提供すればよい、というものではない。
ときには相手の人生にとって必要であれば、
叱ったり、耳の痛いことも伝えていきたい。
大事な相手の人生が、より幸せに、より豊かになっていくように。
一人の人でうまくいったからと、
同じやり方が他の人に合うとは限らない。
相手に合わせて、受け取りやすい形で届けていく必要がある。
海が海岸線に合わせて、形を変えていくように。