気づきの伝道師 藤井一規です。
友は何歳になっても新たに作ることができる。
親兄弟には限りがあるが、
友人は新たに作ることができる。
これまでどれほどの喜びを、楽しさを
与えてくれたことだろう。
そしてこれからも。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人生から友情を取り去ることは、世界から太陽を取り去ることに等しい」
by マルクス・トゥッリウス・キケロ(ローマ時代の哲学者、政治家)
もし、人生に友情が存在しなかったら?
もはや想像することも難しいかもしれない。
もうすこし、掘り下げていく。
<心のぶつかり>
損得を度外視して付き合えるのは、
血縁関係、特に親子、そして友人関係。
世知辛い昨今、親が子を、子が親を殺した、
なんていうニュースを聞くこともあるけれど、
やはり、損得を超えてつきあえる相手がいるのは幸せなこと。
親子、兄弟姉妹のあいだでも、
お金が絡むと厄介なことになると言われるが、
友情は損得を超えたところに存在することもできる。
地位や肩書、知名度とは全く関係のないところに
生み出すこともできる。
友情は、素直な心と心のぶつかり合いができる関係だ。
<損得勘定での付き合い>
何らかのメリットが得られるから付き合っている。
そんな関係も、作り上げることができる。
もちろん、こうした関係も大切。
社会の経済が成り立っているのは、
お互いにメリットを得られる関係を結ぶことが、
幸せを増やしていくことになるからだ。
Win-Winである限り、安定的な関係を保ることができる。
しかし、それが一方にしかメリットがなかったりすれば、
どこかで解消することになっていく。
金の切れ目が、縁の切れ目
などという言葉もあるが、
損得で結ばれている関係は、
もろく、あっさりと終わりを告げてしまう。
<損得を超えて>
損得勘定とは全く関係なく付き合うことができる関係は、
新しい選択肢を与えてくれる。
人は、自分の心が赴いたことには
お金とは関係なく動くことができる。
利害のことなんか忘れて、
心が望むことを真剣に取り組むとき、
純粋な思いに触れることができる。
自分の中にある、一番大切な何かに
触れることができる。
そう友情のあるところ、自分の一番大切なところに触れることができる。
もし、友情が存在しないのなら、
生きる喜びも多くを失われてしまうかもしれない。
友情は世界に温かさをもたらしている。