気づきの伝道師 藤井一規です。
世知辛い世の中。
役に立つものかどうかで判断され、
そうでないものは、切り捨てられてしまったります。
無用の用について、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15601/
この記事の目次
「人は皆、有用の用を知るも、無用の用を知らず」
by 荘子(中国の思想家)
たしかに直接役に立つ有用なものは、役に立つもの。
しかし、一見役には立っていないような無用に思えるものの中にも、
重要なものがある。
しかし、やはりそれは気づかれにくい。
、
もうすこし、掘り下げていく。
<有用の用>
やはり役に立つものは大切にされる。
明らかに機能しているものは、必要性もわかりやすい。
車なら、エンジンは動力として必要だし、
ブレーキも止まるために必要だ。
効率化が求められる世の中、
こうした機能しているとわかりやすいモノばかりを大切にし、
役に立っているのかわからないようなモノは
ないがしろにされがち。
<挨拶の機能>
一見、何の役にも立っていないようなことが、
実はとても大切な役割を持っていたりする。
良く取り上げられるものの代表は、挨拶。
無くたってどうでもいい、
と考える人も現れるかもしれない。
しかし、気持ち良い挨拶が交わされる場所は、
やはり居心地がいい。
お互いのことをより意識する機会にもなる。
円滑な人間関係があれば、一緒に何かするのもよりうまくいく。
<遊びは無用?>
車のハンドルには遊びがある。
ちょっとだけハンドルを動かしても、すぐには車の挙動には影響がない。
何ためにあるのやら?
車の挙動には関係ないのなら、無くてもいいのでは?
しかし、実際に遊びのない設定にしたら、
ちょっと触れただけで、車は右に左に振れてしまい危なっかしい。
実は、ハンドルに遊びがあるからこそ、安定して走行することができている。
そう適度に、すぐには役に立たない機能があるからこそ、
車は安全に運転できるのだ。
<無用に見えるものの価値>
職場であっても、業務のことだけしか話さないとしたら、
効率的に進むように思うかもしれない。
確かに、無駄に時間をつぶしているような人も、
中にはいるかもしれない。
たしかに定型的なことだけをしているのなら
効率は上がるかもしれない。
しかし、人間味のない職場ではいてもつまらなくなってしまう。
それに、革新的なアイディアの多くは、
直接関係のない分野で行われていることを
適用することで得られたりする。
それは、何気ない会話や、日常生活の中で、
ふと気が付いたりするもの。
一見して価値がないようなモノの中に、
実は大きな価値があることを知っておきたい。