気づきの伝道師 藤井一規
「答えのない問い」と聞くと、何を思い浮かべますか?
どんな問いにも答えはある。と考える人もいます。
反対に、答えのない問いなんていくらでもあるよ。
と考える人もいます。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15871/
この記事の目次
「この世には答えのない問いがあります。これは学ぶことが極めて難しいレッスンです」
by キャサリン・グラハム(米の新聞ワシントン・ポストの社長、会長を歴任)
「問い」に対して、ひとは「答え」を出そうとする。
だから、その問いが重要なものであれば、
答えが見つからないときには苦しい思いをしたりするもの。
もうしばらく掘り下げていく。
<答えはあるか>
何かを問われたとき、すぐには答えが出てこないことがある。
知識があれば応えられるような問いは、
知らなければ、答えられないことがある。
しかし、これは調べれば、答えはすぐでてくる。
未知なことがあっても、何かわかっていることはある。
どう考えているか?と聞かれたとき、
今まで考えたことのないことだとすると、
答えられなかったりする。
しかし、考えれば答えは出てくる。
矛盾したことを満たすための策や、
自然法則に反する事を実現する方法を聞かれたとき、
答えはないかもしれない。
しかし、その問いの裏にある、
問いたいことの本質をあきらかにすれば、答えることができる。
<答えが出ないのは>
悩みに囚われ、苦しんでいるとき、
どうやったら抜け出せるのか、答えられないかもしれない。
しかし、答えが出てこないだけで、
抜け出す方法はきっとある。
また、未来を予測しようとするとき、未知のことについては、
「正解」を出すことはできないかもしれない。
しかし、現時点で思うこと、考えることを示すことはできる。
検証できる、いわゆる世間に通用する「正解」を求めようとすると、
答えが出なくなってしまいやすい。
けれども、どう思うか、どう考えるかについては、
答えは常にある。
「不正解」を恐れるあまり、「答え」ることができなくなっているのだ。
<思うこと、考えること>
自分が「思うこと」「考えること」は存在している。
そして、その人の、現時点において
そう思った、そう考えたことは、まぎれもない事実。
非科学的であろうと、道徳に反していようと、勘違いであろうと、
その人にとっての真実であり、その人にとっての正解なのだ。
もし、あなたが誰かの突拍子もない「思い」や「考え」と出会ったとき、
つい否定してしまいたくなるかもしれないが、
それがその人にとっての「正解」なのだと知っておきたい。
そして、
なぜそう思うのか?
なぜそう考えるのか?
がわかってくると、相手のことが理解できてくる。
<答えを求めて>
自分の「思い」や「考え」が、独りよがりなものだと、
それは「答え」として認めてもらえないかもしれない。
できれば、自分の幸せとなり、より多くの人に、
受け入れてもらえるようなものにしていきたい。
「答え」は、ひとつとは限らない。
「思い」や「考え」をバージョンアップし続けれて、
望ましい人生のために役立てていきたい。