気づきの伝道師 藤井一規です。
どんな人も、幸運に恵まれることもあれば
残念な不幸な目に遭うこともあります。
特に不幸な事態に遭ったあと、
それをきっかけに先が開けていく人と
そこで落ちていってしまう人がいます。
どんな違いがあるのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15936/
この記事の目次
「不幸によって磨かれる人もいれば、駄目になってしまう人もいる」
by トーマス・フラー(英国の牧師、歴史家)
生きていれば、様々な経験をする。
その経験を価値あるものにしていくのか、
経験する価値のないものにするのかは、その人次第だ。
どのようにすれば、望ましい価値あるものにしていくことができるのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<経験を積めばいい?>
人生において、様々な経験をしたほうがいいと、
多くの人が言っている。
確かに、新しいことを経験することは、
人生をより彩のあるものにしてくれる。
しかし、単に経験を積みさえすればいのだろうか?
単に経験を積めばいいのであれば、
仲良くやっていくだけよりも、
わざわざ喧嘩をしたほうが良いことになったりする。
それはやはりどこかおかしい。
もちろん、仲良くしようとするばかりに、
本音を出し合うことができないのであれば、
それはまたおかしなことだ。
<経験と向き合う>
どうも、単に経験しただけでは、
何か大切なことが抜け落ちてしまうようだ。
先の例で、大切な誰かと喧嘩をしたのであれば、
喧嘩した後、そのままにしているとしたら、経験しただけに近い。
大切な友を失ってしまうかもしれない。
大切な相手と、もう一度向き合って、
仲直りするところに至って、初めて大きな意味が生まれてくる。
違いを理解し、合意できる道が明らかになる。
より絆を強くすることもできたりする。
そう。した経験と、しっかり向き合うことができるか、
経験はしたが、逃げてしまうか。
どちらを選ぶかで、経験の価値が大きく変わってくる。
<たとえ不幸な経験であっても>
たとえ、その経験が不幸な出来事であっても同じだ。
その不幸な経験と向き合えずにいるとしたら、
単に、不幸な経験をした私がここにいる、、、
だけに、なってしまう。
もちろん向き合うことが難しい出来事もあるに違いない。
しかし、逃げ回っていても、
不幸な私が目の前から消え去ることはない。
真剣に向き合って、乗り越えていくことができて初めて、
その経験は生きてくる。
それが大変なことであればあるほど、
その価値も、その意味も大きくなってくる。
あなたが経験し、乗り越えたことは、
自分に、そして同じような経験をする誰かのために間違いなく役に立つ。
そのとき、過去の不幸な経験は目の前からのぞき、博物館にでもおいて、
先に進んでいくことができる。
<あなたならではの価値>
不幸な経験をすれば、しばらく立ち止まってしまうかもしれない。
その経験をすぐには受け留めきれないこともあるかもしれない。
時間はかかってもいい。
その経験をしたことは、自分にだからこそ与えられた機会。
しっかり向き合い、乗り越えることができれば
他の人にはできない価値を生み出すことができる。
その経験を有意義な価値あるものとするか、
マイナスの価値のものにしてしまうかは、自分次第なのだ。