気づきの伝道師 藤井一規です。
人生には、ものすごく辛いこと、苦しいことがあったりします。
そんなとき、どのように考えていけばよいのか、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「死ぬよりも苦しむほうが勇気を必要とする」
by ナポレオン・ボナパルト(フランスの皇帝、政治家、軍人)
「死んでしまいたい」という言葉が浮かんできたり、
誰かから聞くことがあるかもしれない。
どう受け止めていけばいいのか、わからずに
うろたえてしまうかもしれない。
生きていく勇気について、
もうしばらく掘り下げていく。
<生きようとする本能>
生まれてきた命は、生きようとする。
生き延びるための努力を惜しまない。
あるときは、愛する誰かを護るために、
自らの命の危険を省みないことがあるが、
これも命を護ろうとする本能が働いている。
この場合は種を護る本能と言っている人もいる。
いずれにしても、ものすごく辛いこと、苦しいことがあったときにも、
まずは生きようとしている。
<受け止めてもらいたいこと>
「死んでしまいたい」
そんなことを友だちが言ってきたとしたら、
「死んじゃだめだ」って言うことはできるけれど、
どう受け止めたらいいのかわからずに、
うろたえてしまうかもしれない。
まず、「死んでしまいたい」は
その言葉通りにだけ受け止めると
肝心なところを逃してしまう。
この言葉は、大変な出来事があって、あれこれ思い悩み、考えたあとに
えい!とばかりに出ていたりする。
本当に伝えたいこと、受け止めてもらいたいことは、
「ものすごく辛いことがあった」
「耐えられないほどの苦しみがあった」
のほうだ。
<死んでしまいたいの真意>
苦しむのには勇気がいる。
だから、ときには自分だけでは耐えきれなくなることもある。
そんなとき、自分の思いを、辛さや苦しみをわかってくれる人がいてくれたら、
抱え込んだ思いを吐き出せる。
吐き出せたらその分、すこし心の余裕が生まれて、
再び勇気を出すことができたりする。
「死んでしまいたい」は実は「生きたい」というサインだったりするのだ。
<頑張り過ぎるよりあきらめない>
大変な状況で、なんとか耐えようとして頑張り続けると、
どうしても疲れてきてしまう。
たまった疲れをそのままにしていると、
次第に正常な判断力が失われていってしまう。
「生きたい」のに「死んでしまいたい」って
言ってしまったりするように。
頑張るのは、凄いことだけれど、
頑張りすぎないことも大切。
ときには一旦逃げたっていい。
頑張り過ぎるよりは、あきらめない姿勢でいけばいい。
改めて、
生きているあなたには、勇気がある。
と伝えたい。