気づきの伝道師 藤井一規です。
ここ一番、思い切って勝負をかけることが肝心だ
と言われたりします。
そうはいいつつ、イチかバチか、という賭け方はダメだ。
なんて言われたりもします。
人生をかけてチャレンジすることは大事なこと。
どのようにしていけばよいのか、
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16011/
この記事の目次
「イチかバチかのやけっぱちみたいなことをやるのを、勝負師という人があるが、これは間違いです。そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という」
by 升田幸三(広島県出身の将棋棋士)
魅せる将棋を打つことを旨としていた升田幸三。
新手を次々と生み出したため、
将棋に寿命があるのなら、その寿命を300年縮めたとまで言われた。
また、第二次世界大戦後、日本独自の将棋をやめさせようとしたGHQから
将棋を救ったと言われている。
人には望む人生に向かって、勝負をかけるときがある。
しかし、その前に勝負師と賭博師との違いを知っておいて損はない。
どんな違いがあるのか、もうしばらく掘り下げていく。
<賭博師>
一発の大勝負に出て勝ち、
大成功を収めた人を勝負師ともちあげてしまうことがある。
しかし、イチかバチか、その勝負に負けたら全てを失ってしまうような、
一回限りで終わりにしてしまうやり方は、
勝負師ではなく、賭博師というほうが当たっている。
そういう選択が間違っているとはいわない。
ただ、大金持ちか一文無しか、生か死か、のように
「両極端」の結果を「すぐに」出すしかないって
思い込んでしまっているかもしれない。
本当にそれでよいのか、考える余地がある。
<勝負師>
では、勝負師はどうか。
勝負師は、最終的に勝利することを目指している。
途中で、失敗して苦難を味わおうとも、
あきらめることなく、最終的な勝利を目指す。
一回の戦で敗れたら死ぬのみ、という状態にはせず、
たとえそのときは敗走しても、再びチカラを蓄えて挑む。
同じ敗けるときにも、ただ敗けるのではなく、
最終的な勝利のために仕込みをしておく。
しぶとく、しつこく粘っていく。
肉を切らせても、乗り越えるべき障害の骨を断とうと狙い続ける。
それが勝負師だ。
<人生の勝利>
人生の勝利を考えるとき、
博打を一回打って、うまくいけば大勝利、
敗けたらおしまい、というのはもったいない選択に思える。
勝利をあきらめず、準備し、機会をうかがっていく。
途中で苦難や困難に出会っても、
乗り越えて幸せをつかんでいけばいい。
人生をあきらめない勝負師でありたい。