気づきの伝道師 藤井一規です。
誰しも不遇なことに出遭うことがあります。
悩み、苦しむこともあるものです。
その経験の価値を高めることができるとしたら。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「この世の中には色々の不幸がある。しかしその不幸からよきものを生み出そうとし、また生み出し得るものは賢い人である」
by 武者小路実篤(小説家、詩人、劇作家、画家)
生きていれば、様々なことが起きるもの。
幸運もあれば不運もある。
不幸だと思ってしまうとと出遭うこともある。
でもそんな体験からも良きものを生み出せるとしたら、
人生はより素晴らしくなっていく。
もうしばらく掘り下げていく。
<不幸の基準>
不幸な目に遭ってしまったとき、
どんな反応をしているだろうか?
運命を呪ってしまうかもしれない。
不遇であると訴えるかもしれない。
悲しみに暮れてしまうかもしれない。
人それぞれの反応があるし、
そのときの状況や状態にもよって変わったりもする。
しかし、どのようにして不幸だ、
と判断しているのだろう?
調べていくとわかることは、同じことが起きたても
不幸だ、と考える人と、特に不幸だとは感じない人がいることだ。
どうも人によって、不幸だと認識する基準が全く違っているってことだ。
<不幸だと考えるとき>
そして、心に留めておきたいことは、
不幸だ、と認識したとき、
他に存在している幸福のことを忘れて、
不幸一色に染まりやすくなってしまうことだ。
たまたま起きた一つのことのはずなのに、
人生全てのような感覚に陥ってしまう可能性がある。
不幸って考える基準が違うだけで
大きな違いになってしまうのだ。
<出来事の意味>
出来事は、ただの事実であり、
それにどういう意味を付けるのか、どんなラベル付けをするかひとつで、
大きな違いになっていく。
もちろん、辛い出来事なのに、
悲惨さを感じることを排除しようとすれば、無理がかかる。
悲しいことなのに、悲しむことを心の奥に押し込めてしまえば、
感じることを止めてしまう。
感じたことは、素直に感じていけばいい。
辛い出来事、悲しい出来事はある。
ただ、不幸というラベルを付ける必要はない。
<生み出していく>
辛いこと、悲しいことを体験した人には、
体験した人にしかわからない、大事なものが感じられる。
それまでの幸運に、幸福に、多くの恵みの存在に気づくことができる。
新たな気づきがあれば、そこから何かを生み出すことができる。
体験した人だからできる何かが、きっとある。