気づきの伝道師 藤井一規です。
どんな人にも生きる価値があるといわれます。
それは、生きる価値を感じられないでいる人がいる
ということの裏返しでもあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16193/
この記事の目次
「この世に生きる価値のない人などいない。人は誰でも、誰かの重荷を軽くしてあげることができるからだ」
by チャールズ・ディケンズ(米の小説家)
生きている意味がないのではないか?
生きる価値がないんじゃないか?
そんなことを考えている人がいるかもしれない。
しかし、決してそんなことはない。
もうしばらく掘り下げていく。
<価値がないと思うのは?>
自分には生きる価値がないんじゃないだろうか?
そんな風に考えたことのあるひとは、結構多い。
生きる意味はどこにあるのだろう?と
探し求めて続けている人もいたりする。
人生には、辛いこと、大変なこともいっぱいある。
それに世の中は決して平等にはできていない。
自分一人いなくなったところで。。。
そんな風に考えてしまった人もいるかもしれない。
<価値は誰が決める?>
あなたは価値があるか、ないか、
をどのように判断しているだろう?
あなたにとって、もうあまり価値がない、
と思ったものをリサイクルショップやネットオークションなどに出すと、
買い取ってもらえたりする。
それは、価値があると思って買う人がいるということ。
考えてみれば、あなたが見向きもしないものであっても、
価値があると思っている人たちがいる。
自分にとって価値がないと思っていることだからといって、
本当に価値がないということとは、どうも違う。
だから、自分に生きる価値がないと思ったということが示すのは、
その人の、その瞬間の判断基準では、ということでしかない。
<できるできない>
私たちは価値の有無を、
優れているか、どうか
能力があるか、どうか
できるか、どうか
迷惑をかけているか、どうか
といったことで判断しがち。
しかし、その一方で、
与えられることを待つしかない赤ちゃんがいたら、
にっこりするだけで、かけがいがないと思ったりする。
飼っているペットが、すり寄ってくるだけで
うれしくなったりする。
その人が生きる価値がない、と思いこんでいるとき、
実はその基準は、とある一つの捉え方でしかない。
<命>
命は、ただあるだけでかけがえがない。
一度失ったら、取り返しはつかない。
誰かが価値の有無を決めるようなものとは違う。
たとえ自分自身のことであっても。
そして、自分の意思が働くうちは、何かをより与える可能性をもっている。
自ら可能性を閉ざしてしまうなんてもったいない。
相手に直接何かをしなくても、
生きているということは、何かを生み出すことができる。
できることは、きっとある。