気づきの伝道師 藤井一規です。
勇気って何だろう?
強大なモノに向かって、恐れずに立ち向かっていくこと?
危険を省みずに飛び込んでいくこと?
それとも・・・?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16230/
この記事の目次
「勇気とは、起立して声に出すことである。勇気とはまた、着席して耳を傾けることでもある」
by ウィンストン・チャーチル(英の政治家、ノーベル文学賞受賞作家)
ちょっと意外に思うかもしれないこの言葉。
発言することや耳を傾けることと、勇気とは
どうつながっているのだろう?
もうしばらく掘り下げていく。
<勇気が必要な場面>
どんなときに勇気を出す必要が出てくるのだろう?
自分より実力が上の相手に立ち向かわなければならないとき?
傷つくことになっても、隠してきた真実を話そうとするとき?
・・・
実に様々な場面があるが、いずれも怖いものと向き合わなければならないときだ。
踏み外せば、落ちて命を失ってしまう状況なのに、
あたかも地上に描かれた線の上を歩くように進むのであれば、
勇気は必要とされていない。
恐怖をないものとして、感じずにいるとき、
恐怖から目を背けているときは勇気を発揮する必要がない。
<恐怖への反応>
私たちは恐怖に襲われたとき、
まず本能的な反応が起きる。
主な選択は、
戦う。逃げる。固まってしまう。あきらめる。
といったものだ。
多くは恐怖の正体を冷静に見極める前に、
対応を決めてしまい、
いきなり叩き潰してしまおうとしたり、
ことさらに触れないようにしてしまったり。
ということが起きがち。
<恐怖と向き合う>
勇気は、本能的な反応とは違ったレベルの対応をすることだ。
考えてみたい。
何かと真剣に向き合えるとき、
あなたは向き合う対象とは同格以上の存在になれている。
恐怖としっかり向き合うことができるとしたら、
自分は恐怖よりも大きな存在となることが出来ている。
すくなくとも、同等以上の存在になれているということだ。
恐怖を想像で膨らませて逃げてしまっていたり、
そこにあることを感じていながら無視するのとは大きく違う。
勇気は、恐怖を自分のモノとして捉えるところにある。
<恐怖を乗り越える>
恐怖の正体がわかれば、
それを乗り越える可能性に気づくことができる。
必ずしも今すぐに乗り越えられなくてもいい。
努力や訓練で、実力を伸ばすことだったり、
誰かからアドバイスを得ることだったり、
協力したり、援助を受けることだったり。
さまざまな可能性がある。
その可能性に至るために、
勇気を出して、恐怖を自分のモノにする必要がある。
それには、恐怖の正体を知る必要があり、
恐怖を無いものとして扱わないように、問題があると発言することも、
誰かが言うことにしっかり耳を傾けることも、
大いなる勇気のひとつなのだ。