気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたは何を信じて生きていますか?
人は何かを信じながら生きています。
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16352/
この記事の目次
「人は何かを信じることによって生きる。いろんなことを論じあうことによってではない」
by トーマス・カーライル(英の思想家、歴史家 )
私たちは、知らず知らずのうちに、何かを信じている。
気づかないうちに、生きていくうえで、役に立った経験を活かそうとする。
過去の体験を活かすことで、より快適な人生にしようと
工夫していると考えることができる。
それは、生きていくうえでの智恵。
しかし却って邪魔になることもある。
もうしばらく掘り下げていく。
<信念>
生きていると、知らず知らずのうちに、
思い込みや信念をもつようになる。
成功体験をしたとき、同じようにすれば、またうまくいく可能性が高い。
こういうときは、こうすべきだ。
これは、こういうものだ。。。
それは信念となっていく。
信念として固定化することで、
そのたびごとに細々と状況判断をする必要がなくなって、脳は楽ができる。
信念は、同じパターンの体験を積み重ねればその分、
その強固になっていく傾向がある。
また、うまくいかなかった経験からの学びも信念になる。
こういうときは、こうすべきではない。
これは危ない。
などだ。
<思い込み>
私たちは、人生を歩むうちにたくさんの信念を作り上げている。
どれも今まで役に立ったものだし、
おかげで楽ができ、危険から逃れることからできた。
しかし、幼少期には役に立ったが、大人になったら
邪魔になるようなもあったりする。
護ってもらう必要のある幼少期には、不足していた能力が、
成長することで手に入っていたりする。
それにもかかわらず、
能力がなかった時に身につけてしまった思い込みに
縛られてしまったりする。
例えば、人前で話すのが苦手だと思い込んでいる人は多い。
自分がなんらかの嫌な経験をしたり
だれかが、酷い目にあっているのを見たりすることが
きっかけになっていたりするが、
実は思い込みに過ぎなかったりする。
<自分は正しい>
一旦できてしまった信念は、
なかなか崩しにくい。
なぜなら、人は自分が正しいと思っていたいからだ。
思った通りのことが起きるのが大好きなのだ。
もし、思ったことと違うことが起きたら、
なにか特別な理由があるに違いないと、考えてしまいがち。
自分の考えが妥当ではない。と思うよりも、
何か特別な事情があって、自分の考えと違う結果になったに違いない。
と思ってしまう傾向があるのだ。
これは、議論しあってもなかなか譲れなかったりする。
<新たな信念>
持っている信念が、本当に役に立っていればいいが、
可能性を拡げたり、より幸せになるうえでの制限になっていることがある。
過去に役に立ってきた信念も、
自分を無駄に抑えつけるものになっているとしたら、
見直してみてもいいはず。
信念をつくり上げたときよりも、
成長してきたこともたくさんある。
今なら、もっとできることがあるはずだ。