気づきの伝道師 藤井一規です。
人生には一番を取ろうとしたり、
狭き門を争ったりすることがある。
しかし、それは必然なのだろうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16406/
この記事の目次
「人生はいたって単純。競争なんて本当は存在しないし、勝たなきゃいけないレースもない」
by スザンヌ・サマーズ(米の女優、作家、歌手、実業家)
私たちはつい自分を他人と比べようとしてしまう。
すると、順序や序列を付けることになったりする。
しかし、そんなことをする必要はないのかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<人間であること>
人間は、人の間と書く。
複数の人が関わることが当たり前の存在なのだ。
複数の人がいれば、比較が始まる。
どちらが優れているか、比べ始めたりする。
自分と他人とを比べて、一喜一憂したりする。
何をもって優れているか、という測り方が
ひとつと決まっていないのにもかかわらず、
比べては、喜んだり、落ち込んだりしている。
<限られた席>
入学試験であれば、合格人数には上限がある。
定員のなかに入ろうとすれば、
競争相手よりも上回らなければならない。
狭き門を奪い合うことになっていく。
別に、その狭き門を通ることが、
人生を決める全てでも何でもないのにもかかわらず、
争うように勉強したりする。
ただ、よく考えてみれば、
その席を自分のモノにしなくても、
幸せになることはできる。
<創り出したもの>
競争も、競い合いも、
どうしてもしなくてはならないもの、というよりは、
人間であるがゆえに、創り出したもの。
人間の集団を優先的に考える意識で、
同じものをよいものだと考えてしまうがゆえに、
奪い合いになってしまっているだけ。
必然ではないことでありながら、
人間の特性は比較や競争、競い合いを呼んでくる。
<幸せの基準>
幸せを見つけようとするとき、
誰もが同じ基準で幸せを測っているわけではないことに気がつく。
何をもって幸せだと考えるか、だけでも、
人によって大きく違う。
だから、競い合わなくても、
幸せになれる。
しかし、競うことを選んでしまいがち。
<比べるメリット>
比べることは、自分の成長へのモチベーションにつながっていく。
勝ちたい、自分もやろう、という意識が
意欲のエネルギーをもたらしてくれたりする。
比べることで、自分のエネルギーを引き出すチカラにすることもできるのだ。
ただ、ひとつを奪い合わなくても幸せへの道があることに
気づいておきたい。
別のものを目指したり、新しいものを創ることもできる。
ひとりひとり、それぞれの花、違う花を咲かせることができるはず。