気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の人生の主役は、何と言っても自分自身です。
しかしながら、まるで他人事のように生きている人も多いもの。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16424/
この記事の目次
「人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう」
by 岡本太郎(芸術家)
私たちは、ともすると真剣に生きることを忘れてしまう。
できるだけ責任を持たないようにしたり、
自ら行動しようとせず、言われたことだけをしていたりする。
本当にそれでいいのだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<傍観者効果>
社会心理学に、傍観者効果という言葉がある。
自分以外に出来事を見ている傍観者がいるとき、
積極的には行動を起こさなくなるというものだ。
傍観者が多ければ多いほど、その傾向は高まる。
なぜなら、他の人が行動を起こさないってことは、
緊急性はないと感じ取ってしまう、多元的無知。
また、行動を起こさない多数に同調することで、
責任を回避できると考えてしまう、責任分散。
さらに、行動を起こしたとき、傍観者からどんな評価をされるのかを
気にかけてしまう、評価懸念。
この3つが、傍観者効果として知られている。
<もし当事者なら>
それでも、当事者であったなら、
何とかしようとするはず。
宛先が多数含まれている依頼のメールを受け取ったとする。
誰かひとりが作業すれば済むようなことだったら、
あなたならどうする?
明らかにあなた宛てだとわかるように、本文に書いてあったら、
あなたは作業する可能性が高くなる。
しかし、誰がやっても良さそうだったら?
(依頼のメールを送るときは、誰にアクションしてほしいかを
明記したほうが良いこともわかる)
どんなときにあなたは取り組み、
どんなときに放置してしまうだろう?
自分が当事者だ、責任があると感じるかどうかが
ここで問われてくる。
<あなたの人生の当事者は>
あなたの人生の当事者は、あなただ。
しかしながら、まるで自分の人生だと考えているとは
とても思えないような言動をする人がいたりする。
そんなことはない、とは言いながら、
責任を持っているはずのことなのに、
指示されるまでは動かなかったり、
うるさくどうなったかと聞かれないからいいや、と放置したり、
周りの様子をうかがっていたり。。。
誰にもそんなところがあったりする。
<一所懸命>
自分の人生、どのように生きるかは
あなたが決めることができる。
傍観者として生きる選択もあるが、
あまりにももったいない。
もちろん、どんなことであっても責任を負えばいい
というものではないけれど、
傍観者でいようとする人には、期待をかけられなくなり、
可能性を狭めていってしまう。
自分の人生なのに、どんどん残念なものになっていってしまう。
自分の人生、自分が懸命にやらずして、得られるものは少ない。