気づきの伝道師 藤井一規です。
嫌なことや、苦労させられることってあるものです。
反発し、避けていくという選択肢もありますが、
あえて引き受けていくという選択もあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16448/
この記事の目次
「忍耐もまた行動の一つの形態だ」
by オーギュスト・ロダン(仏の彫刻家)
忍耐すればよい、ということではないけれど、
忍耐を選択することで、初めてわかることがあったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<嫌なこと>
不平不満や、改善してほしいことを明らかにすることには意味はある。
しかし、それだけで終わってしまうと、
何の解決にもならなかったりする。
多くの場合、その不平不満に思うことや、
改善してほしい嫌なことは、誰かがやらなくてはならない。
自分が逃れることだけを考えていると、
大事なことを投げ出してしまうことになる。
<当事者意識>
素敵なイベントに参加することは、
とてもうれしいし、楽しいもの。
しかし、いざ自分が主催者側として開催してみると、
その準備や、後片付けの大変さがわかる。
どんな結果をもたらしたいのか、
そのためにどんな内容にするか、
どのように進行していくか。
参加してくださる方に告知したり、必要な資料を準備したり。
お金の確保、場所の確保、会場の設営・撤収はけっこう大変。
多くの人で運営するなら、体制づくりや情報伝達の仕組みも必要になる。
参加するだけなら、ああ楽しかったでいい。
しかし、その裏でどれほどのことが行われて
楽しさを得られているのかに、心が及ぶ人と
そうでない人とには大きな違いがある。
当事者の立場になって、準備や下支え、裏方のことに思い至ると
体験していることの素晴らしさが一段と深くなったりする。
<美味しいところどり>
そして、大変さがわかると、
美味しいところどりをしようとする人が現れたりする。
自分にとって都合の良いところ、
目立つところ、華やかなところだけやって、
地味で大変なこと、苦労が伝わりにくいところからは
さっさと逃げてしまう人だ。
その割には、こんなに大変だった!と
苦労を吹聴していたり。。。
<どんな人でありたいか>
そういう生き方も選択肢のひとつではあるが、
心から頼られる機会は、どんどん減っていってしまうだろう。
当事者として、どうか関わっていくのか、
意識が問われるところだ。
裏方や下支えをしていると、
そうした意識の表れに気づくことが増えていく。
美味しいところを避け続ける必要はないけれど、
多くの忍耐の上にあることを心に刻み、
そのことに思いを至らすことができる人でありたい。