気づきの伝道師 藤井一規です。
学問というと、教科者があって
それを読み、理解し、覚えて、、、なんていう風に考えがちなもの。
しかし、それでよいのだろうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「学問の本趣意は、読書に非ず、精神の働きに在り」
by 福沢諭吉(武士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者)
実学、実際に役立つことを重要視していた福沢諭吉。
実学でなくとも、学問は学ぶに始まるけれど、
それだけで終わっては十分とは言えない。
単に本を読み、記憶するだけにとどまっているなら、
読書しただけになってしまう。
もうしばらく掘り下げていく。
<本を読む>
知識を得るために教科書や本を読む。
学校では、そんな勉強をたくさんしてきた。
しかし、現実の世界で役に立つようにしようとすれば、
実際の状況に合わせて、考えを巡らせる必要が出てくる。
現実は教科書にできてくるような、理想的な状態であることはまずない。
邪魔をするようなものがあったり、
状況が変化してしまったり。
自分の頭を使って、何とかしていく必要が出てくる。
これに対して、本にあることは
すでに誰かが考えたことの集まりだ。
他人の考えたことがそこに書かれている。
<自分で考える>
学問は、他人の頭で考えたことを覚えたり、
わかればよいというものではない。
自分の頭で考え、創意工夫していくものだ。
考えるきっかけとなるヒントは誰かが考えたことであってもいいが、
自分の答えを自分で導いていくことが大事なこと。
年号を暗記したり、Knowhowを頭に入れておくのもいいけれど、
それだけでは、厚みが加わっていかない。
実学とは異なる、真理を追究する学問もあるが、
その場合でも、単に暗記するのとは違う。
自分なりに考えることが最大のカギになる。
<自分のモノにする>
さて、学んだことを自分のモノにしていくにはどうした良いだろう?
興味深い本に出合ったら、
書いてある借り物の他人の言葉ではなく、自分なりに理解する必要がある。
理解できたら、その自分の理解を言語化していきたい。
自分の言葉になったとき、気づくことが変わっていく。
先人の知恵をお借りしながら、高めたり、深めたり、拡げていく。
他人の言葉を参考にしながらも、鵜呑みにはせずに
考え、検証し、自分が納得できるようにしていく。
自分の頭をフル回転させて、
自分のモノになるように消化し、再構成する。
ここに至って、学問をしたと言える。
ただの記憶力ゲームをしているのではない。
じっくり考えていきたい。