気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の伝えたいことを誰かに伝えようとするとき、
自分の理解が試されると言われます。
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16617/
この記事の目次
「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない」
by アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
わかることよりも、
教えることのほうが、より深い理解が必要になる。
たしかに、そうだ。
そして、6歳児にわかるように説明できるためのは、
そう簡単なことではない。
もうしばらく掘り下げていく。
<予備知識>
あなたが相手に何かを伝えようとするとき、
相手の予備知識が十分であれば、あまり細々と説明をしなくても、
相手は相手自身の予備知識をもとに理解を進めてくれる。
もし、相手の予備知識レベルが低ければ、
その予備知識を埋めるための情報を
説明に加える必要がある。
だから、誰かに伝えようとすれば
相手に合わせて伝え方を変える必要だったりする。
一つの面からわかるだけでなく、
いろいろな面からわかっておく必要があったりする。
<再構成>
相手が比較的近い予備知識レベルであれば、
比較的単純な工夫で、伝えたいことが伝わるようにできる。
予備知識を単に伝えればよいケースもあるだろう。
伝えなくてはならない予備知識が増えてくると、
単に予備知識を伝えようとすれば、伝えたいことにたどり着くまでに
膨大な時間がかかってしまう。
そうなってくると、より伝わりやすくなるように
伝えたいことを再構成する必要が出てくる。
再構成することは、単に知っているレベルでは実現できない。
周辺の知識を正しく理解して置く必要もあったりして、
より幅広い理解が必要になる。
<6歳児>
しかしながら、相手が6歳児となれば、
ちょっとの工夫では済まなくなる。
ちょっと再構成したレベルでは理解を得るのは難しいだろう。
伝えたいことを予備知識のない相手、
6年間の人生経験だけの相手にも伝わるように、
変換していく必要が出てくる。
伝えたいことの本質は何なのかを見極めて、
その本質を6歳児にわかりやすくなるような形に再構成する必要が出てくる。
6歳児にも、あ、そういうことなんだ!って
わかる例えが必要になったりする。
ただ知っているというレベルを超え、
深い理解と工夫とが必要になる。
<伝えてみる>
だから、自分の理解を深めようと考えたら、
誰かに理解を伝えてみるといい。
特に予備知識の少ない相手がいい。
自分の本当の理解レベルを深めるチャンスになっていく。
本質を見極めることができて初めて、本当に理解したといえるのだ。