気づきの伝道師 藤井一規です。
父が亡くなりました。
陶芸家として、陶彫家として、
新しい作品を生み出し続けてきました。
創造することについて、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16691/
この記事の目次
「学習より創造である。創造こそ生の本質なのだ」
by ガイウス・ユリウス・カエサル(共和政ローマ期の政治家、軍人)
すでにそこにあるものを得るようにしていく学習も重要だけれども、
いままだ存在していない何かを
生み出すことのほうがより重要。
もうしばらく掘り下げていく。
<学習>
未熟な状態で生まれてくる私たちは、
まず、学習によって、基礎を作り上げていく必要がある。
生まれてきてから、基本的な部分も学習する必要があるということは、
時間もかかるし、無駄なことのように思えるかもしれない。
しかし、ある程度白紙の状態で生まれてくることは、
環境の変化に対応できる余地を持っているということでもある。
また、無力な状態で生まれてくることで、
無償の愛を受けることを経験する。
また、親として無償の愛を注ぐことを体験する。
これは偉大な経験となっていく。
<学習の限界>
学習を続けていくと、
どんどんできることが増えていく。
しかし、すでにあるものを身に着けていくことに限られてしまう。
科学の発展も、誰かが学習の枠を飛び越えた領域に
足を踏み入れたからこそ起きている。
芸術の世界なら、今までと同じものを造るだけでは、
なかなか評価はされていかない。
創造していって初めて、認められていく。
学習は創造のための準備と言えるかもしれない。
どれだけ新しいものを生み出せるかが、
その価値を決めていっているのかもしれない。
<ならではの価値>
自分が存在することの価値を明らかにしようとするとき、
学習するだけで、既存のものと同じものだけを
生み出しているとしたら、
あなたである必要性はない。
あなたならではのものを生み出そうとするとき、
創造力をはたらかせる必要がある。
あなたならではの何かを生み出すことが、
命の輝きをもたらしてくれる。
もちろん、その源は学習から得てきたものでいい。
<創造>
異次元の新規のものを生み出すことは難しくても、
あるものを全く違う分野に適用してみたり、
複数のものを組み合わせることで、
新しいものが生まれてきたりする。
想像力をはたらかせてみると、新たなものを思いつける。
せっかくの人生、何か自分ならではを生み出していきたいもの。
自分ならではを生み出していけるようになりたいものだ。