気づきの伝道師 藤井一規です。
生きている以上、過ちを犯すことってあるものです。
問題は過ちを犯した後、どうしていくかです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16716/
この記事の目次
- 1 「過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。
- 2 過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶碗を割って、そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、何の役にも立たぬことである」
- 3 <正解は決まっていない>
- 4 <軽はずみ>
- 5 <過ちを取り繕う>
- 6 <次の一歩>
- 7 【過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すればよい。そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。過ちを犯したことを悔やんで、取りつくろおうとするのは何の役にも立たぬことである】
- 8 ★過ちのあと、どんな行動をしていますか?★
「過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。そのことをさっぱり思いすてて、ただちに一歩を踏み出すことが大事である。
過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶碗を割って、そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、何の役にも立たぬことである」
by 西郷隆盛(武士、軍人、政治家)
過ちを犯したにも関わらず、気づかない。
あるいは認めない人っている。
悔やんだ後、ばれないように取り繕おうとすると却っておかしなことになったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<正解は決まっていない>
正解だけを選んで歩んでいこうとしても、
正解が予めどれなんてわからないもの。
むしろ選択した結果が、結果として正解となっていくように
していくことが大事。
それは、過ちをおかしたことをなかったことにするというものではなく、
過ちを犯したら、そのことを学びにして、
より望ましくしていくことだ。
<軽はずみ>
過ちにもいろいろあるが、日常で何気なくやってしまう
いわゆる軽はずみな過ち。
意外と放置されがちだけれど、
無意識で犯してしまう過ちは、
思いのほか根深いものだったりする。
思いを至らせる時間を持ってみてもいい。
<過ちを取り繕う>
過ちを犯したとき、つい過ちがなかったかのように
取り繕おうとしてしまうことがある。
もちろん、修正可能なのに何もしないのもおかしなことだけれど、
取り返しがつかないとわかっていながら
隠そうとしたり、なかったことにしようとすれば、
却って事態を悪化させてしまったりする。
覆水盆に返らず などの多くの表現があるように
結果が出てしまってから、
なかったことにしようとしてもそうはいかない。
しかし、多くのひとがなんとかごまかそうとしたり、
なかったことにしようとして、事態を悪化させてしまうことって
誰しもが陥りやすいことでもある。
<次の一歩>
また、過ちを犯したとわかると、
次の一歩を踏み出すことが怖くなってしまうことがある。
しかし、次の一歩を踏み出さなければ、
失敗した場所にとどまってしまうことになる。
失敗を認めたうえで、次の一歩を踏み出していくことが重要なのだ。