気づきの伝道師 藤井一規です。
偉そうな人に、本当に偉い人は少ないと言われます。
それはどういうことなのか、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ」
by 伊藤博文(武士、政治家)
本当に強い人は、強そうに見せる必要がない。
虚勢を張らなくてはならないのは、
自分を実際よりも大きく見せようとしているからだ。
本当に強い人のほうが腰が低かったりするもの。
もうしばらく掘り下げていく。
<力の誇示>
自分の力を誇示しようとする人がいる。
権力の座にいたりすると、権限をチラつかせることで、
相手をひるませることができるかもしれない。
恫喝して、相手をビビらせることができたら、
いうことを聞かせやすくなるかもしれない。
しかし、こうした力の誇示は、
こうした手段をとらなければならない、
ということの裏返しだったりする。
自然界でも、縄張り争いしている動物が、
自分をより大きく見せようとしたりする。
こうした威嚇の手段をとる必要があることを示している。
相手のことをよく知る前に、何とかしてしまえる手段だ。
こうした人が近づいてきたら、警戒心が働くようになる。
<腰の低い人>
これに対して、腰が低い人だからといって、
力のない人であるとは限らない。
むしろ、本当にチカラのある人のほうが、
腰が低いと言えるかもしれない。
相手を屈服させるようなやり方では、
しっかりとした人間関係を結ぶことは難しい。
課題があれば根本的な対策を施す必要がある。
そのときには、本音を明らかにする必要があったりする。
<大事をなす>
大事をなそうとすれば、誰かの協力が必要になる。
相手の協力を得ようとしたり、
交渉しようとするとき、
高圧的に出て、一人勝ちを狙うトランプ的な手法もあるが
相手に地力があれば、反発を招くだけになりがち。
お互いに望むメリットを得られる、
Win-Winの関係に持っていくには、
相手のことを理解しておく必要がある。
一方的に叩きのめすという手法には
限界があるもの。
<まずは近づく>
私たちは、誰かとの関係を持たずに生きることは不可能に近い。
何らかの形で、誰かと関っていく。
生き残ろうと彼らを叩き潰そうとしなくても、
共存していく道があるはず。
その道を見つけていくためには、
まずは心を開くことができる関係を結んでいく必要がある。