気づきの伝道師 藤井一規です。
こう歩けば、こんな結果が得られると、
あらかじめわかっていることは少ない。
誰かが草むらをかき分けて行ったり、
道なき道を歩いていくことで、だんだん
こう進めばよいかもしれないとわかってくる。
道を探すこと、道を歩むことについて、しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人が通ったところに、道は出来る」
by フランツ・カフカ(現在のチェコの作家)
予め用意されている道があるわけではなく、
誰かが進んでいったから、そこに道ができる。
もうしばらく掘り下げていく。
<歩むべき道>
将来のことで、どの道を歩んでいこうかと
悩んでいる人は多い。
道はいくつもあるけれど、
どれが正解なのか、どこにも書いてはいない。
歩みだしてからも、これで良かったのだろうかと、
不安になってしまうかもしれない。
しかし、もともと道なんてなくて、
たまたま先に歩んだ人の跡に、道ができただけ。
そんな風に考えてみる。
<道は自分で>
自分のために予めつくられた道が存在しないとなれば、
誰かと同じ道を歩むか、創っていく必要がある。
動かずにいたら、今いる世界が全てになってしまう。
望ましい場所かどうかは別にして、
動けば、景色が変わる。
何かの後ろで見えなかったものが見えてくる。
自分が歩むことで、自分にとって新しい世界に出会っていくことができる。
<自分ならでは>
すでにある、誰かと同じ道を歩むこともできるが、
自分ならではの道を進むこともできる。
他の誰かも歩いているなら、
その道を歩んでいて気が付く、目立つものは、
他の人も気づく可能性が高い。
多くの人が歩んでいればいるほど、
他の人との差別化は難しくなる。
自分ならではを出していこうとすれば、
自ら道なきところを歩む必要が出てくる。
<歩んだ跡が道となる>
草や石で、足が傷つくこともあるかもしれない。
滑りやすい場所もあるかもしれない。
谷や川を越えなくてはならないかもしれない。
守るための靴を身につけたり、
安全に進む方法を学び、実践しながら、進んでいけば、
大抵のところは、乗り越えられる自信もついてくる。
楽をし、近道がわかるまで進まないって方法もあるけれど、
何の情報もないところから、道をつくりだすことができれば、
どんな状況になっても何とかすることができる。
まず歩んでみる、という方法も一つの選択肢だ。