気づきの伝道師 藤井一規です。
その社会の文明の度合いってどう測るのだろう?
幸福度などの指標が設定されるようになってきましたが、
このことは、人生で何を大切にしていくべきなのかを
示しているかもしれません。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16819/
この記事の目次
「ある社会の文明の発達の度合いは、刑務所に入ってみることでわかる」
by フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(露の小説家、思想家)
ドストエフスキーは何度か実際に牢獄に囚われる経験をしている。
まさに処刑の寸前、という経験もしている。
その彼が、こんな言葉を残している。
自分には関係なさそう、と思うかもしれないが、
誰にとっても重要な意味を持っている。
もうしばらく、掘り下げていく。
<いろいろな国の刑務所>
刑務所は、法律を破ってしまった者への刑罰として、
裁判の結果に基づいた期間閉じ込めておく場所。
社会からはみ出してしまったことを
刑法という基準で裁定している。
おそらくどの国にも何らかの施設が存在している。
そして、国によって全く環境が違うという。
ある国では、劣悪な環境で、
囚人がすし詰めであったり、トイレが120人に一つなんてことも。
刑務所内で暴動があり、死亡者が出るようなケースも珍しくはない。
食事や医療を怠っているところも少なくない。
ところが一方、人間的に扱われている国々もある。
例えば、ノルウェーの刑務所には鉄格子がないという。
楽器があり、DVDやゲームも楽しめるそう。
国によって大きくその事情は異なる。
<刑務所とは>
はみ出した者を懲罰として懲らしめたり、
切り捨てよう、と考えているのか、
社会の一員として復帰させるための厚生施設として考えているのか、
根本的な考え方に違いがありそうだ。
刑務所に収監しなくてはならない人を
多く生み出してしまう大きな原因は、
犯罪に走らなければ生きていくことが困難だと、
思い込んでしまうような環境があることが大きい。
社会自らが生み出しているものだと言ってもいいかもしれない。
<トイレを見れば>
トイレを見れば、会社やお店の善し悪しがわかる
と言われて久しい。
トイレは汚されつづける場所。
人は汚い場所にいくと、その場所を清潔に使おう
という意識を失いがち。
汚れを放置していると、汚れはどんどん増殖してしまう。
不法投棄も、ひとつも不法投棄のない場所には捨てないが、
不法投棄したものが一つでもあると、
その場所は不法投棄物の山になってしまう、
汚れるや乱れを防ぐ工夫が、まずとても大切なことだ。
そして、汚れや乱れを持ってしまったとき、
それをどう扱っていくかが、重要な意味を持っている。
<大切に扱うか、忌み嫌うのか?>
ひとつは、忌み嫌うことでなくそう、とするものだ。
もうひとつは、大切にしようという意識をもつものだ。
トイレに、「いつも清潔に使ってくださってありがとうございます」
などの表示がされるのを見ることが多くなった。
「清潔に使ってください」など、お願いや命令よりも効果が高いことがわかってきた。
汚れが出てしまったとき、その人を責めようというよりは、
責めなくてもすむようにしてくことのほうが
より重要だったりする。
事情があるときに汚してしまったりするもので、
意図的に汚してやろうとする人はほとんどいない。
人は、命令されて強制的やらされていては、
心の底から変わっていくことはできない。
もちろん、ただ優しくすればよいというものではないが、
心が開かれていくように、向き合っていくことが
求められている。