気づきの伝道師 藤井一規です。
してはいけない、と言われるとしたくなる。
人には好奇心があります。
どんな選択をするかは、最終的には自分が決めること。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです」
by 村上春樹(作家)
エルサレム賞の受賞が決まったとき、
多くの人がいかないように言ったから、
逆に行ったほうがいいのでは?と考えたという。
どういうことなのか、
もうしばらく、掘り下げていく。
<エルサレム賞>
ノーベル文学賞の候補に、なんどもその名前が挙がっている村上春樹。
2008年、エルサレム賞を受賞し、その授賞式に招待された。
当時、イスラエルはガザ地区でも銃撃事件などが起き、
軍事的、政治的緊張のさなか。
エルサレム賞受賞の話が広まると、
いろいろな人が、行くべきではない。
とアドバイスしたという。
自分でも、こんな時期に行くべきなのか?
賞をくださった政府側を支援したことになるのか?
何度も自問した。
そして、熟慮の結果、授賞式に参加することにした。
その大きな理由のひとつが、
実に多くの人が授賞式に参加することに反対したからだという。
中には、不買運動をするぞ。と脅迫まがいのことを言った人もいたという。
<好奇心>
小説家は、自分だけのオリジナル作品を生み出したい。
自分の中にあるものを紡いで、生みだしていくには
実感を得る機会がたくさんあったほうがいい。
多くの人が反対するのであれば、
この経験は、得難いものになるに違いないからだ。
小説家でなくとも、自分なりの生きた証を生み出したいと願うもの。
他の人ができない体験をすることは
人生を豊かにしていく。
もちろん、反対した人たちが、実際に同じような経験をし、
ひどい目に遭ったというのであれば
また別だったかもしれない。
どちらかというと、不買運動をするぞ、などと言う人たちは、
村上春樹のために言っているというよりは、
行ってもらっては困るという都合があるように思える。
<何が大切なのか>
村上春樹は、最終的に授賞式に参加した。
そしてそれは自分が何を大切にしているのか、考え抜く機会になった。
作家とはどんな人であるべきなのか?
多くの人たちが自分の作品を読んでくださったから受賞できた。
そのことを素直に感謝したい。
そして、自分の考えがどういうものかを
示す良い機会になると考えた。
禁止されたから、やってみたくなったという面も
あったかもしれないが。
自分が何を大切にしているのか、
しっかり考える機会を持つことは、
誰にとっても役に立つに違いない。