気づきの伝道師 藤井一規です。
思い出があるって素敵なことです。
楽しい思い出、大変だった思い出、いろいろなことが
思い出せるって素晴らしい。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「思い出というものは人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない」
by 魯迅(中国の小説家、思想家)
亡くなった父は、晩年会うたびに、これは楽しかった、あれは良かったと、
うれしそうに話してくれた。
と同時に、どこか寂しそうな感じをまとっていたことを思い出しました。
どういうことだったのか、
もうしばらく、掘り下げていく。
<葬儀の準備をしながら>
先日亡くなった父の葬儀に当たり、
式場に思い出の品や写真を飾ることになり、
アルバムを開いたり、父の作品や、新聞記事などを
読み返す機会があった。
あのときはこうだったねとか。そんなことあったんだとか。
あれやこれやと話しながら、
ここ数年、父が、旅行に行ったことや、大相撲の名古屋場所を見に行ったことなど、
昔の思い出を語ることがとても多かったことを思い出した。
私がスコットランドに住んでいたとき、
両親を呼んであちこち回ったときのことは、
私との思い出として特別印象深かったのか、繰り返してくれていた。
しかし、同時にどこか寂しさも漂っていたように思えた。
<残された思い出>
楽しい思い出を語る父は本当に楽しそうだった。
病院のベッドの枕元に残されたメモに、
スコットランド、エディンバラ、ランドアバウト、ネス湖。。。
と書き始められたメモがあった。
死に向かう旅の中でも、思い出が心を満たす大切なものだったのだろう。
小さな文字で始まったそのメモの空白が、
たくさんのことを思い出し、もっともっと書こうとしていたことを
教えてくれていた。
もっと時間があったなら、何を書きたかったのだろう?
新聞や冊子には、聞いたことのある父の語った戦争にまつわる思い出があった。
子どもたちに陶芸を教えているうれしそうな父の顔。
見たことのなかった、若いころの写真。
思い出は、楽しませてくれるものではあるが、
同時に思い出だけになってしまった寂しさもある。
<思い出を胸に>
せっかくの人生、思い出があるってうれしい。
思い出せるって素晴らしい。
人は今この瞬間を生きるほかはない。
しかし、うまくいってもいかなくても、思い出を残すことができる。
倒れる前日まで働いていた卒寿の父。
生涯現役を地で行った人だ。
正月は、父の詩吟を聴くことが恒例となっていて、
秋のころから随分と新しい曲を練習していたよう。
今年からはもうできなくなってしまったのは残念でならない。
まだまだやりたいことを持ちながらも、
たくさんの楽しかった思い出を忘れまいとしていた父。
まだまだ父から学ばせてもらえることはありそうだ。