気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、誰か他の人をうらやましいと思ったりします。
そして、その誰かに近づこうとしたりします。
自分を成長させることでもあるけれど、
自分自身を見失ってしまうこともあったりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17061/
この記事の目次
「我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失してしまう」
by アルトゥール・ショーペンハウアー(独の哲学者)
誰もが自分の醜い部分、残念なところを知っている。
だから、素晴らしいと思った誰かと同じようになろうとする。
そのときに、自分を押し殺してしまい、
自分を見失ってしまう人もいたりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<成長したい>
誰もが成長したいと望んでいる。
今の自分を越える、自分であろうとする。
私たちは他人がいることで、自分を認識できる。
比較対象となる誰かがいることで、自分自身に気づける。
そして、素晴らしい!と思える人に出会ったりする。
出来ればその能力を自分も身につけたいと考える。
今までの自分のやり方とは全く違うやりかただったりすれば、
条件つけずに、その人のようにやってみるのは効果的。
<自分らしさの喪失>
一生懸命理想的な人になろうとして、
努力をするのはいいけれど、
ときに自分の大切にしてきた価値観とぶつかってしまうことがある。
どちらを優先するかは、選択していけばいいのだけれど、
自分のことを忌み嫌い、他人になろうとしていると、
あなたの良さも失われていってしまったりする。
あなたが嫌っているところもだが、
あなたの好ましいところも、失ってしまったりする。
借り物の自分になってしまうのだ。
<自分らしさ>
あなたがどんなに憧れる人であっても、
その人にとっては、何らかの嫌なところ、残念なところがあるもの。
仮にあなたが憧れる人と同じになれたとしても、
やはりなんからの欠点を伴っているってことだ。
他人になろうとして、別の欠点をかかえるくらいなら、
もっと自分らしいままで、いてもいいかもしれない。
他人になることではなく、自分らしさを追求してもいい。
日本人は調和とか、まわりに同調することが得意だと言われるけれど、
あまりに自分を抑え込んでしまうのは考えもの。
自分らしさについて考え、自分らしさを発揮することを
もっと意識してみてもよさそうだ。