気づきの伝道師 藤井一規です。
地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ。
宗教裁判にかけられ、有罪判決が出てしまいます。
当時としては、宗教裁判で有罪になるなんて
一族の恥さらしだと、思われたかもしれない。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「聖書は我々にいかに天へ行くかを教える。いかに諸天体が動くかを教えるのではない」
by ガリレオ・ガリレイ(伊の物理学者、天文学者)
科学者らしい言葉かもしれない。
しかし、直接対立を深めてしまったガリレオの選択は正しかったのだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<ガリレオとコペルニクス>
地動説と言えば、ガリレオの前にコペルニクスがいる。
コペルニクスは1473年生まれ。ガリレオは1564年生まれだ。
ガリレオが地動説で宗教裁判にかけられたが、
コペルニクスについてはそうではなかった。
これはどういうことなのか?
実はコペルニクスは科学者であると同時に司祭でもあった。
キリスト教を伝える側にいて、地動説について上層部とも情報交換をしていた。
当時のローマ教皇にも伝わっていたと推定されている。
<対立してしまったガリレオ>
彼が望んだことではなかったかもしれないが、
ガリレオは修道士会のメンバと論争になってしまった。
そして、その人物が教皇庁にガリレオは異端であると訴えてしまった。
そこから、強圧的なアプローチを受けるようになっていく。
それは、ガリレオにそれだけの脅威を感じたということでもある。
敬虔なクリスチャンであったガリレオは
宗教裁判となって、活動は控えるようになったと言われるが、
当時の教皇と対立する姿勢を鮮明にしてしまったため
教皇が手を回して裁判に影響を及ぼしたともいわれている。
<名誉回復>
ガリレオは拷問を受けるなどし、有罪となった。
死後もすぐには埋葬も許されなかった。
しかし、第1回の裁判の判決結果には、全く対立する二つのものがあったり、
なんらかの圧力があったことが疑われる。
そして、1992年、ヨハネ・パウロ2世が、
裁判に誤りがあったことを正式に謝罪した。
ひょっとしたら、もう少しうまく立ち回っていたら、
ガリレオはひどい仕打ちを受けずにすんでいたかもしれない。
私たちはときに、理不尽なことに遭遇することがある。
必要なぶつかり合いはしてもいいが、
不必要な対立は、避けたほうが良いかもしれない。
もちろん、彼の主張は正しいものであり
現代では、ガリレオは偉人としてその名を
世界中に知られる存在となっている。