気づきの伝道師 藤井一規です。
優しさには必ず何か裏がある、と考える人がいます。
いや、無償の愛もあると主張する人もいます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。それでも人にやさしくしなさい」
by マザー・テレサ(修道女、教育者、平和運動家)
マザー・テレサと言えば、無償の愛、
というイメージがあるけれど、
彼女は無償の愛だと思いながら様々な活動をしていたのだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<裏のある優しさ>
確かに、世の中にはしたたかに計算して
優しさを振りまく人がいるようだ。
わかりやすく急に優しくなったりしたと思ったら、
何か頼みごとをしてきた。。。
そんな経験をすることもあるかもしれない。
同じパターンを繰り返す人もいたりして、
「で、今度は何?」って先に聞きたくなるような人も。
中には、それとはわからないように近づいてきて、
あとから、それが計算だったとわかって、
「裏切られた!」「人なんて信じられない!」なんて思いに
囚われてしまう人もいるようだ。
しかし、優しくしてくる人、皆に「あなた下心あるでしょ!」
って言ったとすれば、人は去っていくばかり。
<お互い様>
では、本当にそんな優しさしかないのだろうか?
私は、スコットランドにいたとき、
住む家を探すために、地図を片手にウロウロしていたり、
旅行先で地図を広げて探していたりすると、
通りがかった人が、「大丈夫か?」「迷ったのか?」
って声をかけてくることがたびたびあった。
それも結構な頻度で。
日本人だから優しくすれば、親切にすれば見返りがあるだろう。
などと考えて近づいてくるとは思えない。
実際、そんな要求をする人など、ひとりもいない。
どうも、困ったときはお互い様の精神に溢れているようだった。
実際はただ探していただけで、
本当に迷って困っていたことはなかったのだけれど、
もし、本当に迷っていたとしたら、
何とありがたいことだっただろうと思う。
<無償の愛?>
無償の愛を与えるというと、とても素晴らしいことのように
思えるかもしれない。
ものすごく崇高な感じがするかもしれない。
しかし、マザー・テレサにしても、自分の行為を無償の愛だと思ってしていたのだろうか?
彼女にとって、一番自分の心に適うことをしていたのであって、
無償の愛を与えているという感覚はなかったのではないだろうか?
無償の愛だというのは、周りの人たちがそう捉えた、
と考えたほうが自然だ。
<自分の心に適うように>
下心があるでしょ? と言われて優しさを発揮しないのなら
下心の存在が気になっていることを示している。
もちろん、立ち止まって考えてみるのも悪いことではない。
困っているときはお互い様、という考え方も素晴らしいし、
自分の心に適う行動をとることも大事なこと。
できれば長期的に見て、より健康的な選択をしていくようにしていきたい。