気づきの伝道師 藤井一規です。
坂本竜馬は、歴史上の人物で、とても人気の高い人の一人。
その理由はどこにあるのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17422/
この記事の目次
「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり」
by 坂本竜馬(江戸時代末期の志士、土佐藩郷士)
志を持ち、それに向かっている人には大きな魅力がある。
誰もが惹かれるそんな人について
もうしばらく掘り下げていく。
<志を持つ>
竜馬の魅力の一つは、目指す未来を持ち、
それを目指して進み続けていたところにある。
他の人が理解し、追い付き始めたと思ったときには、
すでに次の未来を目指していた。
その姿は、刺激的であり、目を覚まさせられるようだ。
あなたにはどんな志があるだろうか。
「これです!」ってすぐに口に出せる人もいるが、
出せない人も多いもの。
もし持っていないのなら、是非何かを見つけていきたい。
実現したら、わくわくするようなこと。
その実現に尽くすためなら、
惜しみなく時間をつぎ込むことができるようなことに。
<日常の雑事も>
大きな志をもつというと、
自分がその実現をリードしなくてはならない。
と考える人もいるかもしれない。
そんなこと、自分には無理だ。できるはずがない。
って考えてしまう人たちもいる。
しかし、そうではないかもしれない。
「日本を素晴らしい国にする」という志を持ったとしたら、
自分ですべてをしようとしても難しいかもしれない。
だからといって、何もしなくなるのはもったいない。
「日本を素晴らしい国にする」ために自分にできることがあるからだ。
例えば、自分の家をきれいにしておくことだって、
素晴らしい国にある家としてふさわしい家にできると言える。
<志とのつながりをもとう>
掃除をするときに、汚したり、乱雑にした誰かに文句を言ったり、
なんでこんなことをしなくちゃいけないのだろう。。。
と思いながらするのと、
「日本を素晴らしい国にする」ために、
まず、自分の家を美しくしよう。
そうすれば、自分も気持ちよく過ごせるし、
家族や周りにも影響がある。
自分にも人に優しくする心の余裕も生まれてきて、
素晴らしい国に近づくことができる。
と思いながらするのとでは、大きな違いが生まれてくる。
そう、志をもち、その志とのつながりを感じながら日常を過ごすと、
捉え方によっては嫌な雑事になるようなことも、
うれしい意味を持ったものになってくる。
<人生の意味>
せっかくの人生、できれば意義あるもの、意味あるものにしたい。
そのためには、何か偉大なことをしないといけないと思っている人も多いけれど
大きな志をもち、そのために自分のできることすれば、
わずかでも、大きな志の実現に貢献することができる。
それは自分が存在する意味につながるし、貢献する喜びも得られる。
日常のちょっとした行動にも幸福感をもたらしてくれるものでもある。
何か自分が叶えたい志を立て、
その志とのつながりを感じる毎日を送っていきたい。