気づきの伝道師 藤井一規です。
周りに気を遣うことに気をとられてしまう人っているものです。
もちろん、周りに気を遣うことも大切なことではあるけれど、
もっと大切なことがあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17518/
この記事の目次
「ひたすら生き仕事をする。周りに気を配るのはそれからだ」
by ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(米の作家・思想家・詩人・博物学者)
周りに気を配るのは、まず自分がひたすらに生きてから。
もうしばらく掘り下げていく。
<周りへの意識>
人間は、人の間と書くように、
人間関係なくしてはいられない。
どうしても周りのことが気になるものだし、
周りに気を配ることになる。
しかし、周りに気を奪われてしまうばかりに、
すべきことがおろそかになってしまっているとしたら・・・
確かに、心地よく気を配ってもらえるのはうれしいけれど、
まずすべきことは、周りに気を配る前にしておくべき。
<すべきことをする>
まずは、自分のすべきことをする。
人によっては、余裕をもってすることができるかもしれない。
しかし、初めてであったり、慣れないことであったり、
実力が伴っていなかったり、不得意なことであったり、
余裕を持つことができない人もいる。
心に余裕がないのに、周りのことに気を奪われてしまったら、
すべきことができなくなってしまう。
<周りにもわかる>
まずは、一所懸命すべきことを成すべき。
周りに気を配ることは、余裕をもてるときに振り向けていけばいい。
懸命にやっていることは、周りの人からはわかるもの。
周りに気を遣う余裕があるかどうかは
共にいればわかるもの。
誰しも、余裕のある時ばかりではない。
問題が起きたり、何らかの理由で
自分のことで精一杯になってしまう時期はあるもの。
それはお互い様。
<ひたすら生きる>
まずは、ひたすらに生きよう。
すべきことに集中しよう。
周りに気を遣うばかりにすべきことがおろそかになるよりは、
まずはすべきことをしっかりすればよい。
心に余裕が生まれてきたとき、
周りに気を遣っていけば良い。
ひたすら生きる、懸命生きるってどこか美しさがある。
余裕がないってカッコ悪いって思う人もいるかもしれないが、
懸命に生きることって素晴らしい。
その姿は、周りにも好ましい影響を与えていく。