気づきの伝道師 藤井一規です。
教育とは、当たり前のようにあると思いがちだけれど、
そうだろうか?
教育とはどんなものだろう?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「教育とは、立腹したり自信を喪失したりせずにほとんどすべてのことに耳を傾けられる力のことだ」
by ロバート・フロスト(米の詩人)
学校に行けば教育を受けられる。
そう単純な話ではないことが、語られるようになってきた。
教育は、学校でも、家庭でも、どんな場面においても起きること。
そして、それはどんなものであるべきなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<教育>
教育というと、教え、育てると書くゆえに、
教えるということがまずイメージされるかもしれない。
教えようとするとき、
まずは、自分の持っているものを伝えようとする。
しかし、持っているものを伝えようとしても
相手が受け取ることができるとは限らない。
受け取るためには、その準備が必要なこともある。
伝える側にとっては当たり前のことであっても、
受け手にとっては、難解極まりないことがある。
自分が当たり前と思っていることは、
理屈抜きにそれが正しいと考えてしまっていたりするので、
理解してもらえなかったりすると、どう伝えたらよいかわからなかったりする。
<伝えられないストレス>
一生懸命伝えようとしても伝わらないとき、
冷静ではいられなくなったりする。
イライラしてしまったり、伝えられないことで自信を無くしてしまったり。
特に教えようとすると、
教えられないことに対して、
ストレスを抱えることになってしまう。
ストレスになるばかりに、
乱暴や乱雑な伝え方になってしまったりする。
教えようという意識は、ときに
絶望も招いてきてしまう。
<教育とは>
育つ主体は相手のほうにある。
どんなことなら受け留められるのか?
どんなことなら興味をもつことができるのか?
意欲を引き出すためには何があると望ましいのか?
相手を良く観察し、言っていることに耳を傾け、
相手のことを知ることが第一歩。
環境を整え、興味を持たせ、ヒントを与えておけば、
教えなくても自ら学ぶようになっていく。
意欲を引き出せば、教えようと頑張らなくてもいいってこと。
教育とはどんなものなのか、
今一度、じっくり考えてみてもいい。