気づきの伝道師 藤井一規です。
何かを伝えていくのに、優等生の立場からしていくと
うまくいかないことがあります。
そこで、肝となるポイントを伝えていくには、
計算された愚か者の登場が効果的だったりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17586/
この記事の目次
「喜劇で一番難しい役は愚か者の役であり、その役を演ずる役者は馬鹿ではない」
by ミゲル・デ・セルバンテス(西の作家、小説家)
愚か者を登場させることで、
周囲の人には、心にゆるみが生まれたりする。
何事も実際に失敗したり、
わからなかったりすることによって、
初めてわかることも多い。
愚か者を登場させることについて
もうしばらく掘り下げていく。
<受け取る心>
喜劇はハッピーエンド。
思わず笑いだしてしまうような滑稽ことであったり、
そうだよなって心に響いてくるような風刺があったりして、
笑いを起こしながら
世の中や、人生の機微を表現したりしていく。
どんなことであっても、
いくら伝えようとしても、受け取る人の心が開いていなければ、
伝わることはない。
注目を得たり、心にゆるみを生み出すには、
愚か者の存在が大きい。
話が難しかったりすればわからないし、
お硬い話ばかり聞かされていると、
受け取る心のほうも硬くなってしまいがち。
その点、おろかしい失敗や勘違いのほうは、
教訓としての意識を生みやすい。
心のゆるみが生まれるからだ。
<演じる>
誰かを演じようとするとき、
演じようとする人そのものに近づくと、
伝わりやすくなる。
しかしながら、そのものになり切ってしまうと、
なり切ることへの意識が高まり、
本当に伝えたいことへの意識が忘れ去られてしまいがち。
なり切ることが目的ではなくて、
伝えたいメッセージを効果的に伝えることのほうが目的なはず。
だから、愚か者を演じようとするときには、
愚か者以上の存在になっている必要がある。
事実ではなくても、伝わることを第一に考えると、
選択したほうがいい演出があったりする。
<教育者は賢き愚か者がいい>
例えば教育者は、賢き愚か者であるほうがいいかもしれない。
相手のことを良く知り、
その相手を惹きつける愚か者の面を見せながら、
相手の意欲や気づきを引き出していく。
例えば、多くの人に伝えるメッセージをつくる仕事があるとして、
あなたがチェックする役だとしたら、
「この表現だとよくわからへんな~」
と言って、自分が愚かであるがゆえに理解できなと示したほうが、
単にダメだしするよりも広く受け入れられやすかったりする。
賢く愚か者を演じることは、人生においても有効かもしれない。