気づきの伝道師 藤井一規です。
自由って何だろうか?
自分の思い通りになるチカラを手に入れることだろうか?
しかし権力者も意外にいろいろなものに縛られてしまっていたりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17594/
この記事の目次
「自由が欲しい時は、他人に頼んじゃいけないんだよ。君が自由だと思えば、もう君は自由なんだ」
by リチャード・バック(米の作家)
自由とは、自分が自由だと思えば手に入るというこの言葉。
私は最初ピンとこなかったけれど、
実はものすごく重要なことだったりする。
どういうことなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<自由って何?>
自由がどんなものかは、人にとって違う可能性がある。
ただ、縛られていると感じている制約がなく、
自分の責任のもとに、自分の意思で生きることができるという、
ざっくりしたところでは共通していそう。
しかし、実際には制約を受けていない人なんていない。
自分の思い通りに物事を決定する権限を持つ人ですら、
制約を受けている。
例えば、最高権力者ともなれば
どこかへ行くときには、警護が付いたりする。
気軽に、好き勝手な行動をすることはできなくなってしまう。
なにより、どんな人であっても
生物としての寿命という制約を受けている。
もし、寿命を制約だと考えるのであれば、
制約を受けない人など存在しない。
では、私たちが手にできる自由とは何なのだろう?
<望んでする制約>
誰しも何らかの制約を持っている。
しかし、自分が望んで設定したり、
より望ましいと考えて受け入れている制約もたくさんある。
素敵な家庭を持ちたい人は、その家庭を大切にするために
あきらめなくてはならなくなるという制約が生まれてくる。
寿命にしても、永遠の命を与えられたとしたら
それは苦しみとなることを示す映画や小説はたくさんあるように、
寿命という制約があることは、望ましいことであったりする。
<大切にする価値観>
人生において、何を大切にするか、
ときにどちらかしか手に入れられないなような競合があるときには、
より、大切にしたい価値観を大事にできるということは幸せなこと。
どんな価値観を大切にするか、より重要な価値観は何か、
それを自分の意思で決めることが、ものすごく重要なこと。
誰かから与えられようとするのではなく、
自分で選び、その通りに実践していく。
自由とは、自由であると自分が思うこと。
自由である自分なら、何を選択するかを自分で決める。
自由は、自分の人生の責任をだれかに押し付けたりするのではなく、
自分の意思で生きていくところにある。