気づきの伝道師 藤井一規です。
自分を縛っている鎖の存在が気になっている人って多いものです。
この鎖がなくなったらって思うこともあるかもしれません。
しかし、よくよく考えてみれば、
その鎖は自分が作り出したものです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17645/
この記事の目次
「人生において我々が囚われている鎖は、我々が生み出したものに他ならない」
by チャールズ・ディケンズ(米の小説家)
避けられない運命のように考えている制限があるかもしれない。
しかし、よくよく考えてみれば、
最終的にはやむを得ないなと思って、自分が作り出していたりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<しなければならない>
自分がしなければならない。
と考えていることってどんなこと?
書き出してみる。
どのような経緯でしなければならないと考えるようになったのかは、
いろいろ異なるだろうけれど、
どれも自分の大切にしている価値観と結びついている。
そう、それらは結局自分が守ろうと決めていることだからだ。
誰かからの指示されてしているようでも
最後の最後は自分の選択だ。
知らず知らずのうちに、それが当たり前だと
考えていることだったりする。
<選択の種類>
書き出して、改めて眺めてみると、
見直す余地があることに気づいたりする。
今までは、それが当たり前だと考えていたが、
自分がやりたいと望んでいるのではないのなら、
変えていく可能性がある。
私たちは気づかないうちに、恐れを避けるためにする選択をたくさんしている。
もちろん恐れを避けることも意味のあることだけれど、
頑張って、無理していかなくても良いことだったりする。
自分が本当に望むこと、自分が本当にしたいことである、
愛の選択をしていけばいいはず。
<愛の選択を>
自分の人生、何を選択し、大切にしていくかは
自分で決めることができる。
恐れを避けるための選択をしているのなら、
それは変えていく可能性がある。
恐れの選択は、しっかりこなしていても
苦しさが常に付きまとっている。
愛の選択、自分が本当にしたいこと、望むことならば、
していてもうれしいし、喜びがそこにある。
同じ時間を注いでいくならば、
愛の選択のほうにしていきたい。
きっと、今までとは違う世界が広がっていくはず。