気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の本来の姿を隠し、
受けがいいからと別のものの顔をしてしまう。
そんな経験を持っている人もいるかもしれません。
しかし、本来の自分を出すことができなければ、
真に自由にはなれません。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「鉛は鉛、金は金。鉛に金メッキして、俺は金だというような顔をしなさんな」
by 中村天風(思想家、教育者、著述家)
いくら見栄えが良いからといって、
鉛である自分を隠し、金メッキして、まるで自分は金だと
主張しても自分は金にはなれない。
鉛に金メッキした状態である以上ではない。
金メッキは金ではない。
しばらく掘り下げていく。
<鉛>
鉛には鉛の良さがある。
独特の柔らかさをもつ鉛。
形を変えることもできるくらい。
バランスをとるための錘にするのには最適。
いくら金のほうが格好が良いからといって、
金メッキしようとも、
やはり金そのものとは違う。
どれほど金らしくしていても、
ふとした瞬間に化けの皮がはがれてしまう。
自分でないものになろうとすれば、
無理がかかってくる。
それはストレスとなり、苦しみとなっていく。
<それぞれの良さ>
金には金の、鉛には鉛の良さがある。
それを自分ではない誰かとなって示す必要はない。
自分が自分らしくいることのほうが、
無理を課していくよりはマシというもの。
人は特に自分にはないモノにあこがれを感じやすい。
ないモノを手に入れようとし、なり切ろうとしたりする。
それが自分を高めることになればよいけれど、
ときに自分を押し込め、苦しめるものになったりする。
自分の良さは何なのか、
自分らしさとは何なのか、
じっくり見極めておきたいもの。
<自分らしく>
何も無理して他人のふりをする必要なんてない。
自分がもっとも自分らしくいられるとき、
自然な自分でいられるとき、
ただそうしていたら、誰かから感謝されるときってある。
誰しもが、良さを持っている。
それぞれが、それぞれの良さを自然に発揮することができる。
そんな環境を作っていきたい。
他人のふりをしても限界がある。
いつバレるかと心配しているだけでもストレスだ。
それよりもずっと楽に、幸せを感じられるはず。
自分は自分の良さを出していくだけでいいのだ。