気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは基本的に自由な存在のはずです。
しかし、現実的にはさまざまなしがらみや、
囚われがあると感じていたりして、
自由な選択ができなくなっていると考える人も多いものです。
自由であることについて、しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/17770/
この記事の目次
「人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである」
by ジャン・ポール・サルトル (仏の哲学者、小説家、劇作家)
どんな状況にあっても、選択の自由があるはず。
しかし、気が付かないうちに、悲しい出来事があれば悲しいものを、
辛いことがあれば、辛いものをじっと見つめてしまったりする。
悩みのトンネルの中にいると、明るい未来があることを忘れてしまったりする。
自由であるために、どう考えていけばよいか、
もうしばらく掘り下げていく。
<悩みのトンネル>
人はときに、悩みのトンネルの中に
閉じ込められてしまったように感じることがある。
そんなときは、何をしてもその暗闇から逃れることが
できないような気持ちになったりする。
もし顔を上げて、遠くまでよく見渡したら、
ほのかな明かりに気づけるかもしれないのに、
ずっと下を向いたままになっていたりする。
よく耳を澄ませば、外からの音が聞こえるのに、
自分の不幸を嘆き、泣き叫んでしまい、
せっかくの音を聞こえなくしてしまったりする。
真直ぐ、10歩歩けば扉にたどり着けるのに、
2、3歩歩いては、あきらめてダメだ
どうしようもないと考えてしまったりする。
<自由な選択>
自由であることは、どんな状況にあっても、
自分の望む選択肢を選ぶことができることだ。
悩みのトンネルの中にいても、何をするか、
何を考えるかは自由。
好きな言葉のひとつに
「刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。
一人は泥を眺め、一人は星を眺めた」
という言葉がある。
この言葉が示すように、
自由はまだこの手に、この心にある。
<自由であるならば>
もちろん、自由であることは、何をしても良いということではない。
自分が自由でいようとすれば、他の誰かの自由も尊重する必要がある。
自由であることは、その選択に、行動に責任を持つということでもある。
しかし、状況に流されるだけではなく、
立ち止まって、自分は何を選択するのか、
考えてみる価値は、きっとある。