気づきの伝道師 藤井一規です。
練習をすることでプロでいられます。
しかし、ときに練習していることを売り物にしているような人がいたりします。
一つのショーとして、苦労を重ねた姿を表に出すことは、
共感を生み、自己満足を生むかもしれないが、
プロであれば結果が出て初めて意味があります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17972/
この記事の目次
「プロなら陰の苦労や苦悩を人前でみせるべきでない」
by 長嶋茂雄(元プロ野球選手、元プロ野球監督)
身の回りでも、こんなに苦労しているんです!
とアピールしてくる人がいたりする。
たしかに、うまくアピールする人って
認められやすい面がある。
しかし、努力のアピールばかりになっていくとしたら、
考え直す必要がある。
もうしばらく掘り下げていく。
<努力は当たり前>
プロであるならば、努力するのは当たり前だと言える。
一般の人であっても、それで生計を得ているのであれば
何らかの努力はするもの。
努力しなくても誰にでもできるようなことであれば、
わざわざをお金を出したりして、あなたが求められる可能性は低い。
あなたでなくても簡単にできることだとしたら、
あなたでなくてもよくなってしまう。
簡単にはできないことであったり、
あなたならではを求められているとしたら、別だ。
期待に応えたり、期待以上を提供するには
努力のベースの上に、プラスアルファがあったりする。
<努力や苦悩を見せる>
努力や苦悩を見せることには、どんな意味があるだろう?
そこには、努力や苦悩している自分を励ましてもらいたい、
認めてもらいたい、共感してもらいたいという思いがある。
涼しい顔をしてやっているように見えても、
自分は特別ではなく、あなたと同じように苦悩しているのだ、
というメッセージを送りたい、という場合もあるかもしれない。
確かに人が生きていくうえで、
成功していない段階の自分にも価値があり、
受け入れてもらいたい、という思いがあることは理解できるし、
大切にしたい。
しかし、その段階ですぐに満足して、
達成することや、成功することをあきらめてしまうのだとしたら、
何か違っている。
<あきらめない>
どうやったら達成できるのか、成功できるのか追究し続ける。
なんとかしようと、ぎりぎりまで、
あきらめない心を持ち続けるのは多くを手にする人の特徴。
努力は認めてもらいたいが、当たり前のことなのだと考え、
それを売りにするのではなく、
如何に成功させていくか、
あきらめない心が違いを生み出していく。