気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちが誰かのことをうらやましいと考えるとき、
あんな家に住んでいるとか、素敵なパートナーがいるとか、
職業とか、地位とか、資格とか、お金をどれだけあるかとか、
といったことを基準にしがちです。
自分の幸せについても、欲しいものが手に入っているかどうか
で、測ったりしがちです。
それでいいのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18050/
この記事の目次
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」
by アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
つい、何を所有しているか、どんな成果をあげたか
といった、手に入れたもの、達成したもので測りがちな人の評価。
その視点を、どれだけ与えたか、
移したほうがいいというアインシュタイン。
もう少し掘り下げていく。
<幸せを手に入れたい>
私たちは誰しも、幸せになりたい。
そのために、必要なものを手に入れようとする。
それは、知識だったり、経験だったり、
お金だったり、物だったり、地位だったり、
友だちだったり、パートナーだったり、家族だったり、
愛だったり。
自分に足りない何かを手に入れて、幸せになろうとする。
しかし、どれだけ手に入れても、
不足なものを思いついてしまうよう。
なぜなら、欲しかったものを手に入れてしまった瞬間、
手に入れた状態が当たり前になってしまう。
当たり前になったとき、まだ手に入っていないもの、
不足しているものに意識が向かい始めてしまうから。
<補いあう>
考えてみれば、すべてを持ち合わせている人などいない。
それに人は、ひとりひとりの考え方の特性が違っていて、
ある傾向をもって行動をしている。
次々に新しいことに取り組みたい人は、新しい発見をもたらしてくれる。
しかし、すでにあるものをしっかり維持するのは苦手で、
日常の生活基盤を危うくしてしまったりする。
かと言って、維持することばかりを意識していたら、
陳腐化してしまって企業であれば倒産してしまったりする。
だから、お互いの特徴を出し合って、うまく補い合う関係ができたとき、
望ましい状態を持続しやすくなる。
そう、自分が得るだけではなく、補い合うことを
意識する必要があるのだ。
<与える人>
補い合う関係ができるとき、
足りないものを得ることができると同時に、
あなたも与える人となっていく。
与える、という視点を持ってみると、
今のままでも、たくさんのことを与えることができることに気が付く。
与えるものは、お金や、モノだけではない。
困っている人に手を貸すことも、
おはようございます!って挨拶することも、
だれかに、にっこりと笑顔を向けることも。
特にあなたが何気なくしたことであっても、
相手にとってはものすごくありがたいこと、うれしいことだったりする。
そして、その感謝を受け取ることで、
自分の幸福感が得られていくことに気が付いたりする。
与える人であることは自分の喜びにもつながるのだ。
それは、得た人と与えたあなたと、同時に二人を幸せに導いている。
得ても一人分、与えれば二人分の幸せになりうる。
与えることをもっと意識してもよさそうだ。