気づきの伝道師 藤井一規です。
嫌われたくないと考えていても、
万人に好かれるというわけにはいかなかったりします。
先日は、相手に好かれることを考えていきましたが、
普段はどのようなありかたでいればいいのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18238/
この記事の目次
「わたしは自由な精神でいたい。わたしのそんなところを嫌う人もいるけれど、それがわたしという人間なの」
by ウェールズ公妃ダイアナ(英の元プリンセス)
彼女のあり方は生きていくための知恵を教えてくれている。
ただ、同時に気を付けなくてはならないこともはらんでいる。
なので、もう少し掘り下げていく。
<人それぞれ違う>
もし、あなたが万人から好かれようとしているとしたら、
どこかで無理をしなくてはならない。
誰にだって好き嫌いがあったりする。
どちらかを嫌いだと言えば、反感を買う人が現れてくる。
だからといって、誰からも反感を持たれないようにしようとすれば、
どちらの側にもつくことができなくなる。
あるいは、Aを嫌い、Bを好きという人たちの前では、Aを嫌い、Bが好きといい、
Bを嫌い、Aを好きという人たちの前では、Bは嫌いでAを好きということになってしまい、
いつの日か、不誠実であったことが明らかにされ、
両側から嫌われてしまったりする。
<自分らしさ>
好かれようと周りに自分を合わせようとすれば、
どこかで限界がやってくる。
自分らしくある状態って、どんなものかに気づき、
自分らしくあるようにしていきたいもの。
そう考えたとき、ダイアナ元妃の言葉は、
ハッとさせるものがある。
嫌う人がいようとも、自分がどんな人間であるかを
主張することができることは大切なこと。
嫌われまいとして、周りに合わせて、自分を捻じ曲げ、
自分の思いを押し込めているだけでは辛くなるだけだ。
<自分らしくあるために>
ただ、この言葉が
自分の好き放題、わがまま放題にしているときに使われたとすれば、
留意したほうがいいかもしれない。
ちょうど、「自由」と、「わがまま」との関係と同じだからだ。
自由なんだからといっても、好き勝手、わがまま放題が許されるというわけではない。
自分が自分らしさを自由に発揮するためには、
自分の周りの人もまた、その人らしさを自由に発揮することを
認めていく必要があるからだ。
そして、その相手が自分にとって大切な人であればあるほど、
相手のことを思っていくことが、関係を深めていくことにも
気づいていきたい。