気づきの伝道師 藤井一規です。
誰もが知っている一般論ばかりを話す人がいたりします。
どれほどもっともらしいことを言ったとしても、
人の心には届かなかったりします。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18433/
この記事の目次
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない」
by 村上春樹(作家)
いくらもっともらしい話をしても、
表面的なこと、きれいごとだけを言っているだけでは伝わってこない。
事の核心に迫っていたり、
具体的にイメージが湧いたり、
実感が持てるようなことなら、反応が違ってくる。
もう少し掘り下げていく。
<多くのアドバイス>
困っているときに、ありがたいことにアドバイスをくれる人がいる。
しかし、残念なことにその多くは常識的な一般論だったり、
その人の思い込みで作り上げられた、自慢にもとづいた、べき論だったりする。
あなたのことを考えた上のモノではなかったりする。
苦しんでいるときに、人生とはそういうものだ。
って言われたって、どうしようもない。
美しい理屈を聞かされても、
困っている当人に心に響かなかったら、意味を持たない。
理論は大切なものだけれども、
現実味を感じさせるためには弱かったりする。
実際に体験した経験であったり、聞き手にとって
意味があり、具体性を持つものが伴って、初めて重みが加わってくる。
<実際に取り組むには>
人が自ら取り組もうとするときには
取り組む意欲が湧いてきたほうがうまくいく。
だから、意欲が湧くように伝えたほうがいい。
人の取り組もうとする意欲には、
取り組むことによって得られることを主体とした
「愛のあり方」から生まれてくるものと、
取り組まないことによって失う恐怖を回避することを主体とした
「恐れのあり方」から生まれてくるものとの二つがある。
どちらも、人を動かすチカラになる。
時と場合に合わせて、うまく使っていけばいい。
ただ、「恐れのあり方」の場合、できなかったときに
より自分を傷つける危険性がある。
できれば、「愛のあり方」からのモチベーションを持っていたい。
<愛のあり方とともに>
「愛のあり方」で取り組んでいると、
取り組むたびに、喜びを意識できる。
「恐れのあり方」だと、
恐怖を回避できた安心感はあるかもしれないが、
しなければならない義務を果たしたという感覚になりがち。
だから、より「愛のあり方」から
やりたい、取り組みたいって思いを見つけていきたい。
一般論で万人向けてあるよりも、自分だけにしか当てはまらなくても
自分の心にフィットすることであれば、進んでいくことができることを覚えておきたい。