リーダとして認められていく人
気づきの伝道師 藤井一規です。
中間管理職は辛いものだったりします。
上司からは押し付けられ、部下たちからは突き上げられ。
真のリーダーとして認められていく人には、
どのような違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「中間管理職と真のリーダーシップとの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう」
by ジョン・F・ケネディ(米の政治家・作家、第35代米大統領)
組織で一番大変なのは、中間管理職かもしれない。
そんな中で、この人は!って思える人がいたりする。
それはどんな人だろう?
、
もうしばらく掘り下げていく。
<中間管理職>
何が大変かと言って、
上司から無理難題な指示がやってきて、
部下からはそんなことは無理だと突き上げられ、
板挟みにあって、中間管理職のストレスは高いと言われる。
プレッシャーがかかることも多く、
心穏やかでいることが難しかったりする。
そんな状況で、自分のスタイルをもって、しっかりやれている人たちがいる。
そこには、どんな違いがあるのだろう?
<優雅さ>
ケネディは、それは「優雅さ」を保つことができるかどうか、だと言っている。
ケネディが大統領となって、
数々の危機的状況がやってくる。
1962年のキューバ危機では、ソ連の後ろ盾で、
核ミサイル発射基地を作ろうとしていたキューバに対し、
アメリカはキューバに対して海上封鎖を実施、
当然一歩間違えれば、ソ連との核戦争となりかねない緊張状態となった。
ケネディはアメリカのトップとして、
全責任を持って決断することを迫られていた。
大きなプレッシャーのなか、
ケネディの髪はどんどん白くなっていったと言われている。
しかし、彼はうろたえた様子を見せることなく、
にこやかな姿であり続けた。
<うろたえてしまうようなとき>
ときに私たちは、難しい判断を迫られたり、
意思をはっきりと示さなければならないことがある。
誰しもプレッシャーがかかれば、うろたえてしまう可能性もある。
そんなときでも、うろたえずに、
責任を持って、冷静な判断ができるかどうかがカギを握っている。
中間管理職や、責任者として、
プレッシャーのかかる中で判断を迫られたとき、
オロオロしてしまったら、部下は安心できないし、
上司も期待して任せにくくなってしまう。
大変な状況でも、優雅さを保ちながら、
しっかりとした意思を示すことができる人が
リーダとして認められていく。
大変なときこそ、落ち着いて、「優雅さ」を
意識していけるようにになりたいもの。