気づきの伝道師 藤井一規です。
組織のまとめ役を考えるとき
清廉潔白な人、道徳的にきっちりしている人のほうが望ましいでしょうか?
もちろん、酷いことをしている人は問題だけれど、
まとめ役としては、道徳的過ぎることは邪魔になるかもしれません。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「徳をもって人に分かつ、これを聖という。財をもって人に分かつ、これを賢という」
by 荘子(中国の思想家)
優れた能力をもって、バリバリ働くひとは素晴らしい。
しかし、そういう状態で居られていない人もその組織にはいるかもしれない。
そうした人たちと、どのように付き合っていくことができるかは、
組織の中では重要になってくるかもしれない。
もうしばらく考えていく。
<道徳家、能力家>
今日の言葉は、中国の故事に由来している。
斉の桓公を助けていた名宰相であった管仲の病が重くなった時に、
管仲にもしものことがあった場合、誰を後釜にするのがよいか
桓公が、管仲に問うたときの答えにあった言葉だ。
清廉潔白な人、道徳的な人は素晴らしい。
しかし、そうでない人とうまくやっていくことができなくなってしまいがち。
不道徳的な人の存在を否定し、除外していくことはできるかもしれない。
ただ人はときに誘惑にかられたり、油断したりして、
うっかり道を踏み外してしまうことがある。
こうした人たちを許し、受け容れ、ともに歩んでいくことができないとなると、
うまく付き合っていける人はどんどん少なくなってしまう。
また、能力が高く、すごい活躍をする人がいいように思うかもしれない。
しかし、この場合も、道徳家と同じように、
そうでない人とうまくやっていくことができないかもしれない。
私たちは知らず知らず、この罠にはまってしまう。
<政治家、能力家>
清廉潔白であることや、能力に優れていることを先行するのではなく、
自分が不十分であることを知り、
努力をし続けようとする人、
他の誰かが不十分であることを受け入れ、
なかなか結果を出せないような人に対しても受け留めることができ、
前を向いて進んでいこうと、ともに進んでいくことができる人
こうした徳を発揮できる人、地位が自分よりも上位の人とも、
下位の人ともうまくやっていける人のほうが、
まとめ役としては望ましい。
いっときの言動に対しては、
ときには見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりができることが
大事になってるくかもしれない。
<選択>
もちろん、あなたがどちらを好み、
何を目指していくかは、あなたが決めることができる。
まとめ役を目指せばいい、というわけでもない。
ただ、どんな違いが生まれてくるかを知って選んでいきたい。