気づきの伝道師 藤井一規です。
目標を立て、その達成のための努力をしても
結果として手に入らないってことも起こります。
どのように捉えていけばよいか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/19183/
この記事の目次
「何か素晴らしいことを達成するための努力というものは、決して無駄にならないことを覚えていなさい」
by ヘレン・ケラー(米の教育家、社会福祉活動家、著作家)
目標は、何か素晴らしいことを達成するものにしたい。
そのために、大変な努力が必要とされるかもしれない。
しかも、手に入るとは限らない。
それでも、その達成のための努力は、
無駄にはならないというのはどういうことだろう?
もうしばらく考えていく。
<目標をどこに立てるか>
どんな目標を立てるのがいいのだろう?
会社で目標を立てて、その達成度合いで評価される、
ということが行われたりする。
となれば、気持ちとしては、目標は達成可能な範囲に収めておきたくなる。
しかし、会社としては目標は高いほうがいいし、
高い目標が達成できる自分になっていきたいもの。
どうやら、目標は自分の成長を加味して、
今の実力でおそらく手にいれられる範囲よりは高めにする、
というのが無難な線と考えられる。
<ワクワクする目標を>
しかし、達成必須のような目標とは別に、
これ達成した状況を思い浮かべたら、
ワクワクしちゃうな!って目標を立ててみたい。
達成出来たら、最高な気分になれる目標があるとき、
そこを目指しての努力を頑張ることができたりする。
却って、そこそこの、達成確実な目標を立ててしまうと、
そこに向かっての努力に、やらされ感をもってしまったり、
この程度にしておこうかと、手を抜いてしまったりする。
私たちは、全力を尽くしたとき、燃えたって感じられるとき
満足感を持てたりする。
生きているって、実感を持てたりする。
<達成できなくても>
もし、全力を尽くしたのなら、
目標を達成できなくても、やり尽くした、という満足感が残る。
別の誰かが達成する礎になるかもしれない。
もし、そのままになってしまうのだとしても、
中途半端な気持ちで、中途半端に取り組むよりも、
目一杯やってみたほうが、人生おもしろい。
そして立てた目標が、素晴らしいことであればあるほど。
このことは、生きることがどんなことをなのかを
教えてくれている。